私たちの価値判断は「良い・悪い」そして「好き・嫌い」の二つの価値判断をもっています。
一般的には「良い」といわれる価値判断こそが社会常識と考えられています。当たり前のことですが「法律を守る!」「ルールを守る!」「社会常識に則る」これらの価値判断は良い行動として他の人から評価をされます。
時には自らの意に反してルールを守らなくてはならないこともたくさんあります。
しかしこれは社会性という意味で絶対に外してならない行動規範でもあるのです。
社会性とは他人と共に仕事をしたり、生活をするうえでお互いが気持ちよく過ごすために必要な当然のルールでもあるのです。このルールに反することは、時には犯罪者として社会の批判の目を受けることにもなるのです。
そして「好き・嫌い」の価値判断はどのようなときに生まれて来るのでしょうか?
個人的なものであったり、自分の趣味志向に関しては間違いなく「好き・嫌い」価値判断が優先されてくるはずです。
時には好き嫌いを優先する人はわがまま!と表現したり、自分勝手といわれることもありますが、自分を良く知っているからこそその価値判断に好き嫌いが優先されてくるのです。
私たちはいつの間に年齢を重ねてくることで価値判断の基準が「正しいか?正しくないか?」によって判断をすることは多くなってくるのです。
しかし人間の本性は大人になってもそう変わるものではありません。その中で成功をした人の多くは「自分が好きなことを一生懸命に取り組んだ結果」今の成功を勝ち取った!といわれる方々が大半を占めているのです。
つまり、人生を謳歌するには「好きといえる感性」をいかにして身につけることが出来るかにかかっているのです。
「好きこそモノの上手なれ」といわれるゆえんは好きな仕事を一生を通じてまい進できてこそ幸せといえるのではないでしょうか?
仕事を「生活のため!」「生きてゆくためには必要だから!という「正しいか?正しくないかの?」の判断で仕事を選択していては、いつまで経っても好きなものに出会いことが出来ません。人生とは好きなものとの出会いを求めているといっても過言ではなりません。
「今好きな仕事の就けていますか?」と問われて「ハイ!」と応えられたら最高に幸せですね。
幸せを掴み取るために社会が存在している。
お客さまがご来店される理由は、UNIXがスキだから!
好きになっていただかなくてはご来店してくれません。
好きといえる感性を磨けることこそ大切な幸せの原則だと思っています。