若い頃はいろいろな夢を描いていました。

この仕事に入った頃は、漠然と「パリに行きたい!」と思っていました。当時のパリは憧れの地であり、lファッションの先端でした。

私は思い立つと何か行動を起こさなければならない性分で、すぐに取り掛かったのはフランス語の勉強です。



偶然、お客様で愛知県の学生寮に在住する方と友人となりました。彼が第二外語としてフランス語を選択、その偶然が重なって、一緒に学ぶことになりました。

また、当時はモデル探しが重要で、学生寮にはちょうど良いモデルがたくさんいたのです。

しかし、学生寮には門限があり、門限を過ぎて彼の部屋にいることはそう長く続けることが出来ませんでした。



デビューしてモデルの必要性が少なくなったことも含めて1年くらいで彼の部屋に行くことが少なくなり、結果として身に付かずに終わりました。



コンクールで優勝をすると世界大会に出場する権利があり、そのコンクール会場はパリで開催されることが多々ありました。



夢を叶えるために必至で技術の習得に励んだのも今となっては、素晴らしい体験でもありました。



10回全日本理容選手権というメジャーな大会でチャンピオンのなれた事は今の自分の原型かもしれません。



しかしスピーチの失敗から、総合チャンピオンを逃してしまったことは、悔いの残る大会でした。

この大会での成果がその後の私の人生の転換点ともなったのです。

日本各地からお声がかかって、講習活動に明け暮れていましたが、ふと思い出したことは「このままではいけない!」自分の夢を追いかけなくては!



との事から27歳のときに、ロンドン・パリ・ローマへ初めての海外旅行に出かけました。単なる旅行ではありません。ファッションの世界で中心的役割を担っていたのがパリで、そのパリではどんな事業形態が流行っているのか?興味がありました。

そして夢を追いかけて実現したことで、次なる夢を描くようになりました。

当時(1970年代)、パリでは「エステティック」が一部の方々に受け入れられていました。将来このような美容法も日本に来るのだろうな?という儚い気持ちと同時に、美容への転換を図ることが次なる夢に実現へと変わって行ったのです。



夢はいつまでも持ち続けていたい。

人生最後の日を迎えるまで、夢を描き続けていたい!

それこそが青春だと私は思っています。

心の様相こそが青春!という言葉を改めて思い出します。