久保田の活躍は大宮店店長を永瀬本部長から受け継いだ時に一気に花咲きました。


彼のお母様も美容師で県内で美容室を経営していることもあり、その影響受けていたのでしょう。


そのような環境で彼が自然とこの仕事に関してのセンスが身についていたのだと思います。


お客様の気をそらすことが無い!そんな八方に気配りのできる彼の元にはお客様も、クルーも自然と集まってきました。


大宮店が破竹の勢いで成長を果たし、UNIXも次なるステージとして横浜地区にターゲットを絞りました。


横浜は、さいたま市の3倍の人口と共に、購買力では5倍以上の消費拡大エリアであります。


2000年に横浜駅西口駅前とモザイクモール港北の2拠点で開店を果たし、このエリアでのUNIXの認知度を一気に向上させる戦略に打って出たのです。


当時、UNIXはさいたま地区で「mod’s hair」ブランドのサロンが好調でした。


しかし横浜地区ではUNIXのブランドの浸透を図ることに最大の力を注ぎました。


彼が担当をしたモザイクモール港北は阪急百貨店がキーテナントに100店舗近い専門店で構成されている、都筑区に新設されたショッピングセンターでした。


しかしこのSC内に、「TAYA」サンとUNIXの2店舗入居する競合状況になりました。


立地条件や店舗面積では開店当時、「TAYA」さんが有利の条件で入居していて、地元である条件もあり、UNIXは当初勝てませんでした。


しかし、彼等のたゆまない努力と共に、クルーの懸命な働きによって次第に頭角を表わすようになって来ました。


そしてその不利な立地条件を乗り越えて、対等以上に戦えるサロンに成長しました。


現在では「TAYA」サンがその場所から撤退をされて、UNIXは大きなサロンへと移り、「SALON&SPA」として多数のお客様から支持が得られるサロンに飛躍しました。


この港北地区の成功と横浜店との相乗効果により、UNIXは堅実に地域に根をおろし、評価をいただけるようになってきました。


その後、豊洲店を立ち上げるに際し、彼が先頭になってくれたことで、堅実に成長を遂げる店舗に育て上げたのです。


この過程は次にお話を致しましょう。