彼の入店により私達家族には1人の若者を加えた、体制で翌年から仕事が始まったのです。
そんな話をしている中で、春には新しい仕事が舞い込んできました。父の友人が蕨西口で理容店を経営している同業者から、経営を引き継いでくれないか?と申し出がありました。それは我が家の事情を知り尽くした上での申し出でもあり、受け入れる事で二号店を作る事になったのです。
当然、弟にその話をし、まだライセンスすら取得していない彼が、担当をする事になったのですから、私も、彼も恐れを知らずガムチャラで訳もわからずに取り組んでいたのです。
彼の個性を引き出すことが、店舗の業績にも顕著に繁栄して、本店と支店とで共に切磋琢磨することで、お互いの良さを引き出すことにつながってきました。
そんなこんなの営業をしてゆく中で、私もコンクールの最後の仕上げとも言うべき全日本選手権に出場を果たす事になりました。