もっと凄い事は、この店のマスターは児玉啓氏で私の理容業に携わる師としてその後、公私に渡り、いろいろとお世話になる師匠でした。なんと啓師には私達が結婚をする際の仲人をお願いするのですから凄いお付き合いになるのです。
当然業界の有名人として全国に名を轟かせる存在でした。啓師は私が入店した年の全国理容同業組合連合会主催の全国大会で見事優勝を収め、今で言うカリスマ理容師として全国から引っ張りだこの存在でもありました。
ヘアースタイルの出来栄えは当時としては画期的で、スタイル「TOKYO」の名を冠したスタイルは衝撃的で彼の生み出したスタイルが結果として後のIVカットに結びついてくるのです。
「VAN」「JUN」のファッションを生み出す原動力になっていたのですから凄い人たちがこぞって居たサロンでもあったのです。
こんな恵まれた環境で仕事ができることで、休みの日はモデル探しが日課でもあった。
当時はカットの練習をするのにモデルを見つける事が先決でモデルがいなくては練習もおぼつきません。毎週スタッフ達が集まって「ゼミ」が開催されるのですが、それがコンクールの様相を呈していて毎週その訓練を受けるわけです。それは日々疎かにする事もきません。
毎日が勝負のような練習が続きます。おかげさまで、野球で培った根性と体力がありましたから負けじと踏ん張りました。同僚はすでに技術者として脚光を浴びていますから経験はなくても食らい付いてゆきました。