中学を卒業する段となって、進路について両親と相談をする事になりました。学校の先生から、せっかくですから県立高校に進学させてはどうでしょうか?
との提案があり、両親がひとつだけなら!とのことで大宮商業高校に試験を受ける事となりました。

私は進路に関して余り考えていなかったのは事実です。両親が一生懸命に取り組んでこられた理容店の跡継ぎは既成の事実でもあり理容学校に進学することを不思議にも感じていなかったからでもあります。


そして昭和35年春、高校へ進学、初めての電車通学にうきうきドキドキ、定期券をもつ事がいかにも大人になった気分でした。

大宮商業高校は、東武野田線大和田駅から徒歩で5分程度のところになり、県内では商業高校としてそれなりの歴史を有しておりました。

私が入学したころは男女半数程度で、まだまだ商業高校に男子が多く存在しておりました。

又、高校野球も商業高校全盛時代でもあり、各地の甲子園代表高校になる商業高校が多数存在しておりました。

私は入学と同時に中学時代の友人の言葉を思い出し、野球部に入部する事になりました。又もうひとつの理由として、野球部が一番遅くまで練習をしている。早く帰ると店の手伝いをさせられるから、できるだけ遅くまで練習に打ち込んでいる部活が私にとっては必要だったのです。なんと後ろめきな結論の出し方だった事でしょう。しかし、我野球部は県内でも強豪で、中学時代の経験者がほとんど!

 高校から始めて野球に取り組むのは私1人でした。そして野球漬けの3年間が始まったのです。