そんな中学時代、次第に母親への反抗が強くなってきて、母親との口げんかに発展することもありました。あるとき学校から帰って来て

「腹減った!何かない」

「芋が蒸けているよ」

「えっまた芋かよ!」私はふくっれつら!

「文句があるなら食べなくていい」

「そんなら食べないよ」

といったまま、外に出て行ってしまいました。

当日はなぜか弁当抜きになっていた。忙しく働いている両親の起床が遅れ朝食は間に合わない。そして弁当がなし!というより自分自身が忘れてしまったのだ。

当然、腹へっていて何でも食べられることが本来なら満足なのに丁度反抗期に差し掛かった時期でもあり、芋には昔の印象があり何となく好きになれなかった。

 友人たちは駄菓子を買い求めているのに、我が家は「芋」その印象が強く「芋」と聞くとがっかりして飛び出してしまった。

しかしよく考えると、腹は減ってくる、夕食まで我慢すれば良い!とのことで夕食まで待つこととなった。

ところが、今度はオヤジが夕食の時に怒り出し「芋」がいやなら食うな!といって夕食も抜きになってしまった。

なんと一日中何も食べずに過ごすこととなった。今の時代なら少しお金があれば買うことも出来たが、当時では小遣いと言うものはそれほど多くを与えてもらっているわけではない。なぜかそのときは頭が働かなかった。

虚しくも就寝の時間!腹へって気絶しそうなのになぜかよく寝ることができ不思議だった。

そして今度は自分が寝坊!またしても朝食抜きで学校へゆく羽目になる。もう腹が減ってるのも通り越して夢遊病者のごときである。一日三回の貴重な食事を抜きにしてしまったこと。それにも増して今朝の朝食も摂ることも出来ず学校へ、なんとお昼前の授業が体操!そして50mのタイムトライアルと最悪の事態になっている。50mを走り終えてへたへたと座り込み!腹減った!と倒れてしまった。

なんとも惨めな二日間であったこと。そのときに昼食は何を食べたか記憶にはありませんが。抜きになった記憶は鮮明に残っているものです。

それ以来、食事に関しては何でも食べるようになった。そして食べられる時に必ず食べる習慣もできてきた。厳しい体験でしたが今思うと何でも食べられること、三食食べられることがいかに幸せなことかが身にしみている。