そして蕨は自分にとっては天国でした。

転校当時、テストがあり、それがびっくりクラスで4番、全校で20番程度の入る成績を収めてしまったのです。蕨第一中学校は成績表を校内の廊下に張り出す事で、子供達の学習意欲を盛り上げていたのでしょうが、私にとっては都合の良い結果になったわけです。都内の中学から蕨の中学への転校という優位性もあり、勉強をしなくてもこの結果に慢心をしてしまったのです。当然勉強などしなくなりました。

 またこの地には勉強よりも遥かに面白いころがたくさんありました。現在、私は周囲の人から遊びの天才!といわれることもありますが、その土台はこの蕨に来てから芽生えていたといっても過言ではありません。

 特に魚とりに関してまたとないフィールドが揃っていて、毎日飽きることがありません。学校の帰り道、魚とりを始め、遊びに事欠くようなことは有りませんでした。地元の子供達にとっては当たり前のことが、杉並から引っ越してきた自分にとっては遊び天国でもあった。


 そんな自分にとってお店の手伝いはとても億劫なことでもあり、出来るだけ逃げたい事柄でもあり、そうっと帰って来てかばんを置いてすぐに逃げ出すものですから母から「タツヤ!!」との声が鳴り響き、すぐにご近所の方々に知れ渡るようになりました。