父がやっとの思いで店を構える事になりました。昭和34年の初夏でした。場所は現在本社があるところで当時の蕨は駅から店まで見渡せる環境にありました。前の道は砂利道、店の前には畦は流れていて小鮒やどじょうが生息していました。
父は懸命に働き店を持てるところまでやってきました。それは母の実家からの資金提供を受け独立にこぎつけたと、後になって聞いたことがあります。
「バーバーミズシマ」第一号店の誕生です。独立した父は技術の勉強会にも出席するようになり、技術的にも地域の中で優位な存在になってきました。
私は蕨一中に編入、新しい生活が始まりました。初めて出来た我が家に廊下があるのは驚きました。寮生活になれてきた私達家族にとって、家族だけの生活は初めての経験でもあり、始めは不慣れな印象がありましたが「我が家」という言葉を使える喜びはかけがえのないものでした。
だからこそ家族は助け合って生活を支えなくてはなりません。中学に編入してすぐに店の手伝いをさせられるようになりました。
当時の蕨の町は市制が布かれてまもなく、新住民が増えてきた時代でした。蕨駅も新設され、東口が出来た当時でした。徐々に住宅地として発展をしてきてはいましたが、まだまだ学校には転校生は珍しく、私にとっては別世界でした。特に地域独特の言い回し「方言」とまでは行きませんが解らない言葉がいくつかあって戸惑ったことが有りました。
例えば「ひゃっこい」「ぐじゃらっぺ」このような言い回しがよく解らなく面白い経験を致しました。