父と母が親族の結婚式に際し、撮影した写真がたまたま見つかりました。
多分、父が40代 母が30代の時だと思います
当時の志村は田んぼや畑が点在する田舎で、遊ぶことには事欠きませんでした。畑にはコイダメといって、糞尿を溜めて置き肥料にする場所が畑にはたくさんありました。
子供達の遊び場はこのようなところで駆けずり回っており、時にはコイダメに転落、その臭さは異常なほどの臭いを放ち、子供ですら近づくことが出来ないほどです。
自分の経験では母からこっぴどく叱られ、丸裸にされて頭から水をぶっ掛けられたことが今でも鮮明に記憶に残っています。
又、小豆沢公園が近くにあり、我々の最高の遊び場でした。
小さな山があり、その山から滑り落ちる勇気あるものがガキ大将として君臨し、子供たちを束ねて駆けずり回っています。
当時流行っていたのはベーゴマ・メンコ・ビーダマが中心でした。そのほかにも竹馬・コマ・缶けり等遊ぶ事に事欠きません。
毎日学校から帰ってくると、日が暮れるまで家に帰ることはありません。部屋の中で遊べるほど部屋があるわけでもなく当然6畳一間ですから無理な話です。
私の得意分野はメンコ・ビーダマでした。ベーゴマは上級生の独壇場で年少者はなかなか輪の中に入れてもらえない。
上級生がベーゴマに熱中をしている間、年少者はメンコに明け暮れていました。
私の得意技は相手の札をひっくり返す技や弾き飛ばす技に長けていてとても強かったのです。私の指には当時の勲章が残っていて、右手中指の第一関節から先は異常に大きくなっています。それはメンコを打ちつける際、中指が地面と接触してつき指を起こしてしまいます。それを繰り返しているために指の先だけが異常に膨らんでしまい今でもその後は消えません。
またその収穫も半端ではありませんでした。多い時にはみかん箱いっぱいのメンコが私の宝物となった。あるとき、その宝物を埋め、宝探しのようにしておいたところがありました。ところが突然次の寮の引越しをすることとなり、その場所をついうっかり取りに行くのを忘れてしまい、ついに未盗掘のまま放置される始末になってしまいました。返す返すも残念なことで、そのときほどわが人生を不憫だと思ったことは有りませんでした。
当時から忘れぽかったのかもしれません。
