こんにちは。
アラフィ婦 宇宙&教育ダイアリーの
結花🌼です。
① はじめに~
今週は、大変多くの方から、
過去最高のたくさんの
アクセスを頂きました。
数あるブログの中から、
訪問して頂いて
ありがとうございます。
親として、未来ある子供に何とかして
教育を受けさせてあげたいと
いう、切実な思いが、このような形で
たくさんの方々にアクセスを頂いていると
感じました。
私も、皆さまと同じ子をもつ親として、
最新の情報や皆さまに役立つ情報、
ときには、気分転換に
楽しんで頂けます内容を
今後もアップさせたいと
考えております。
今後とも応援をどうぞ
よろしくお願いいたします。
連日、ますます暑さが増しています。
お父さん、お母さんは、
家事、仕事、夏休みなので、お子さんの
お世話と大変気遣いすることが、
多いと思いますが、
どうぞ、体に気をつけて
お互い頑張って参りましょう❗(笑)
②
さて、前おきが、
長くなりましたが、
本日は、少し教育ブログから
離れまして、
皆さまに息抜きをして
頂きたいと思います。(笑)
今、フランスのパリで五輪が
行われていますね❗
私は、正直、映像を見ていないのですが、
連日のように、新聞やニュースで、
日本人の活躍が、報道されていますね。
私の好きなMISIAさんが、
パリを舞台に応援歌を歌われていました。
私は、このパリの景色を見たときに、
30年以上前に、大学の卒業旅行で
友人とパリを訪れたことを思い出しました。
アルバイトで稼いだお金を使い、
大学4年生の最後のテストを終え、
1月末に、仲良しの友人と
二人で、、
全てを忘れ、
ヨーロッパ10日間の旅に出かけました。
訪問先は、フランス、イギリス、
イタリア🇮🇹
3ヶ国です。
なぜ1月末になったか、、?
旅行金額が、、一番安かったからです。(笑)
旅行代金は、当時、10万〜12万円ぐらい
だったと思います❗
③
当時、大学生だった私の
フランスの旅路にご案内致しましょう。
シャルルドゴール国際空港に、
無事に到着した際に、
荷物を受け取り、
はっきりと覚えていないのですが、
カウンターで、用事があり、
英語で話したのですが、
どうしても、大学で第2外国語
で専攻していた
フランス語を使いたくなりまして、
最初と、最後に簡単ですが、片言の言葉は、、
さば?
Bonjour mademoiselle!
(こんにちは。)
Merci beaucoup.(ありがとう。)
(笑)
と試しにしどろもどろ言ってみると、
カウンターのフランス人が、
嬉しそうな顔をされました。
やはり、その国の言葉を使えば、
親しみをもってもらえるんだなと
感じた瞬間でした。
④
それから、パリのオペラ座や、凱旋門、
いろいろと有名な場所をガイドさんと
一緒にバスでまわりました。。
が、つぎの日は、フリーでしたので、
友人と二人で、地図をみながら、
地下鉄に乗りというような
行動だった
と思います。
(当時は、地図を確認しながらでした。
スマートフォンや翻訳機が、
ない時代でしたから、、人に聞きながら、
少しの勇気や度胸が必要な時代でした。)
向かった先は、ルーブル美術館や
モンマルトルというお城。🏰
地下鉄に乗っての旅です。
⑤モンマルトルに向かった際に、
今でも、はっきり覚えているのですが、
地下鉄に乗ったものの、
降りる駅を電車の中で確認したのですが、
当時は、フランス語の表記で駅名が、
当然のように書いてありましたから、
(いまは、もしかしたら、英語表記も
あるのかもしれません)
モタモタしてしまい、
探し出せなくて、困ってしまい、
回りの方に英語で、話しかけると、、
通じなかったのか、
もしくは、フランスの方は、
フランス語しか受け付けない
誇り高き方々が、メインなのか、
わかりませんでしたが、
とにかく、通じなくて
困っておりましたら、
後ろから同じ年ぐらいの
青年が近づいてきてくれたのです。
⑥
「日本人の方ですか?
何かお困りぃでしょか?
わたぁしは、日本語、べんきょ
している 学生 です。」
私と友人は、感動のあまり、
ほっとして、
「あぁ、助かります。。
実は、、この電車であっていますか?
どこの駅で降りたらよいのか、
迷っています。」
「わたぁし、教えます。
ここの駅で、降ります。
安心してください」
⑦
降りる駅が、近づいてきて、
私達は、その青年にお礼を述べ、
手を振りました。
そして、駅に降りた瞬間、
(少し歩いた記憶があります。)
目指した場所、
モンマルトルが見えてきて、
無事に辿り着いたことが、とても嬉しく、
感動の嵐に包まれました。
⑧
このように、
昔は、スマホや翻訳機が、
ない時代でしたから、
その不便さで
外国への旅行や留学は、
ハプニングが起こることも
普通にあったのですが、
現地の人を通して、
助けて頂いたり、
思いもかけないことが
起こり、驚きつつも
感動することも
多かったものです。
⑨
ルーブル美術館も、壁画に感動しましたが、
30年以上たって、私が一番よく
覚えていることは、
先ほど紹介しましたように、
道中、地下鉄の中で困って、
青年に助けてもらったことなのです。
なぜ、日本語を話せる人に
出会ったのか、不思議と
言えば、不思議なのですが。。
また、いつの日か、
子供達が、大きくなりましたら、
訪ねてみたいものです。
皆様の幸せを
お祈りしております。
結花