12歳で家に戻った清太郎は、武術を習い始めまsた
元々、武術が好きだったらしく、瞬く間に上達したそうです
馬術は田安家の馬術師範に習ったといいます
確かに、当時の切絵図を見ると、田安家の横に馬場があります
江戸城の中です・・・現在の北の丸公園のところです
長州征伐の時には、清太郎は講武所にいました
幕府が作った武道の大学みたいなところです
そこでは、各種武道が教授されていたのです
そして、彼は家茂将軍の床几回り御警衛に選抜されたのです
床几回り御警衛は腕の立つ武士が将軍を警護する親衛隊です
将軍直々の命で、家柄ではなく、実力により、旗本の次男三男から選ばれました
全てが家柄で決まる江戸時代にあって、実力で選ばれたことは、大変な名誉であったようです
清太郎らは、将軍とともに大阪城に入りました
ある日、野外の剣術試合が催され
清太郎は、試合に勝ち、将軍から刀の下げ緒を賜りました
長州征伐は停戦し、将軍は急死し、床几回り御警衛は解兵されました
ただし、床几回りの武士達は、腕が立つばかりでなく、家柄も良かったので
解散されず、京都見回組が誕生したのです
八王子の百姓出身の近藤勇や土方歳三率いる新選組は色々問題があったからでしょう
それぞれが京都の街を区分けして担当したのです
この京都見回組の選抜メンバーにより、坂本龍馬は暗殺されました
この暗殺メンバーに、将軍から褒美を貰えるような剣術の腕を持つ武士であった
高祖父が選ばれた可能性は十分あったと私は考えます
私は、私の先祖が竜馬暗殺者であった可能性を考えているのです
彼は、幕府崩壊時22歳の無名の青年でしたが
明治以降は名前を変え「警視検挙厳重にして」という状況を生きていたのです
明治政府の警視に追われ続けていたのです
一体、彼は何をしたのでしょうか?