鎌倉幕府が、あっさり崩壊してしまった理由が、従来はよく分かりませんでした
私の考えでは、津波で大きなダメージを受けた北条氏の威信の低下です
足利や新田のような、津波の被害を受けなっかった関東の有力氏族に侮られたのです
相模湾沿岸を拠点とする北条氏は、甚大な被害を受け、鎌倉の再建すらできず
震災以後の鎌倉には、バラックの様な建物しか無かったと考えられます
その証拠とも言うべきなのが竹藪で有名な報国寺です
あの寺は海に面した鎌倉の平地部では一番古い寺です
その創建は鎌倉幕府崩壊直後なのです
幕府崩壊時の戦死者を弔うために建てられた寺だからです
鎌倉の海側でも、丘の上の長谷観音などは、古い物が残っています
しかし、平地部には、一切残っていないのです
海に面していない北鎌倉にも古い物は残っています
津波に襲われた海に面した平地部には、残すに足るような建築物は無かったのです
鎌倉の逗子寄りの海に若江島という、人工島の跡があります
潮時干なら、少しだけ海面上に砂利の地盤が露出します
この人工島は港で、鎌倉時代は交易船が行き交ってたのです
しかし、津波で流されてしまい、交易も絶えてしまったのです
経済的にも、北条氏は困窮したはずです
熱海の海中には、軍港跡が残っているといいます
北条氏は、蒙古が直接相模湾に襲来する事態に対しても、備えをしていたのです
人工島は津波には脆いので、これも消滅してしまいました
私は「幻の熱海軍港」と呼んでいます