まさか、64歳にして、老いを意識するとは!
私の脊椎管狭窄症は、急速に悪化し、歩行も困難になりました
それでも、近い内に広島まで行かねばなりません
今日も、歩行練習を兼ねて、近所に買い物に行きました
なんとか、ゆっくりなら、歩けます
座ったままなので、クルマの運転は、平気です

私は、今後の日本のことを考えると
車椅子対応の建物と都市設備は必然だと思うようになりました
病気との戦いは戦いとして
現実に車椅子で利用できる設備が増えれば
かなり不自由な体になっても、日常生活は困らないのです
それだけで、障害のある人の生活の質はぐっと向上します

仮に助けてくれる人がいたとしても
人は、自分のことは、なるべく自分でやりたいものです
特に私は、自分でできることを人に頼むのが嫌いです
この性格のために、会社を大きくできなかったとさえ考えています
でも、仕方ありません
こういう性格に生まれついてしまったのですから・・・

体が不自由になるたびに
人間の人生って何だろう?・・・と、考えます
こうやって衰えて、やがて死に至る
それが分かっているなら
ただ、不自由と苦しみが増えるののを待つことだけが
人間の後半生なのか?

それでは、あまりに虚し過ぎます
私なりに、何か別の解答を引き出したいと思います
人間の一生に、動物と同じ意味しかないわけがない
すくなくとも、人間が生きること自体に
動物とは違う意味が、初めからあるはずだ

だったら、それを探求するには
今の私の状態が一番好都合かもしれません
そう信じて、今日も、明日も元気に、自分自身を観察することにします
自分の肉体と精神の変化、それ自体が
人間であることを探求する、最も身近な材料となるわけです