先日、友人のfacebookで、アメリカ合衆国アラバマ州について知り
そこが、フォレストガンプの舞台であることをおしえられました
フォレストガンプは、私が祖父を尊敬するようになったきっかけの映画です
祖父について、ここに、私の知り得たことを記録として残しておきます

私の祖父・秋本嶋三は、小学校しか出ていませんが、生まれつき体が丈夫でした
二十歳で徴兵されると、兵士として、素晴らしい適性を示しました
銃剣術は甲府連隊のチャンピオンでした
10人を相手にしても、祖父一人で倒すことが出来たと言います
持久力も強く、夜間甲府東京間往復行軍という、とんでもない訓練があり
最期まで歩ききったのは祖父一人しかいなかったのです

「最期まで歩けたのは、俺一人だった・・・」

祖父は静かに、低い声で、言葉少なに語り、それ以上は話しませんでした
この話を聞いて、私が思ったのは
これは訓練ではなく、実験だったのではないかということでした

何事も忠実に実行する祖父は
隊長に気に入られ、婿に来いといわれたほどでした
隊長のお気に入りであった祖父は
皇居で、天皇陛下にお会いしたこともあります
皇居の中に田があり、そこで陛下から
初夏に、田の泥をかき回す農作業について、ご下問があり
隊長が

「誰か知っている者はいるか?」

と訊ねたので、祖父は

「私は農家の子ですから、知っています」

と答え、実演をしたそうです

それをご覧になった陛下は

こんなに大変な作業をして作る米は
一粒といえども無駄にしてはいけない

・・・という意味の和歌を、その場で作られたそうです

この時いただいた、菊の御紋のある煙草と杯を
祖父は、生涯大事にしていました
皇居内で酒を飲む訳にはいかないので、杯の上に札を乗せて配られたそうです

祖父は、地元のためなら、頼まれれば何でもボランティアで引き受けました
日露戦争の戦没者慰霊碑(忠魂碑)の建立、農業用水用ダム(石川関)の建設の県への要請など
また、方面委員(民生委員の前身)・・・なども引き受けていたのです
私が知る晩年は、主に老人会の会長でした
初めは地元の「六会老盛会」会長、やがて藤沢市の会長、顧問
亡くなった時の肩書きは「藤沢市老人会名誉顧問」でした

祖父は女性に優しい人で、声を荒げたことすらなく
私と姉がトラブルを起こしても、私しか叱りませんでした

祖父とフォレストガンプの共通点は
国家には忠誠を尽くす、男は女性は守るべし、身近な人や地域社会に貢献する
という3点に集約できると思います
明治の日本の庶民と、ベトナム戦争までのアメリカの庶民は
案外、共通したモラルを持っていたように思えます
現代のインテリには、滑稽に見えるかもしれませんが・・・