伝染病と社会の変化について考えていたら
大事なことを一つ思い出しました
安政5年のコレラの流行です
安政5年のコレラの流行は
江戸だけで、約3万人の死者を出したとされます
火葬しきれない棺が山積みになる光景が見られ
狐狼狸(ころり)と呼ばれ、様々な流言飛語が生まれました
コレラは、小さな流行を繰り返し
文久2年(1862)には、ふたたび大流行したのでした
安政5年といえば西暦では1958年、幕末です
この年、江戸幕府は5カ国との条約を結び、開国しました
それまでのオランダ、シナ、朝鮮との関係の他に
欧米列強との関係が加わったのです
しかも、天皇の勅許を得ていない条約締結であったため
違勅と呼ばれ、幕府の立場を悪くするものでした
そんな年にコレラが流行ってしまったのです
まさに、条約締結のタイミングで大流行しましたから
民衆が異国との関係を象徴する災厄と見なしたのも無理はありません
幕府の立場は、さらに悪いものになってしまいました
その後、条約締結を強行した井伊直弼は、桜田門外で殺害され
幕府の権威は大きく低下してしまいました
現代の視点で振り返ると
井伊直弼の決断があったために
日本は、列強と条約関係を持つことができたわけで
井伊直弼は、その後の平和的近代化の基礎を作った偉人です
もし、過激派達が言うように
当時の列強と武力による対決をしようものなら
日本は敗北し、占領され、植民地状態に置かれる危険がありました
不慣れな外交により、不平等条約を結んでしまったとはいえ
列強との関係を、条約関係によりスタートできたことは
日本の近代化に決定的な利益がありました
外国人を排斥しろと喚いていた過激派も
いざ政権を取り、明治政府を開いてみれば
幕府と井伊直弼の開国近代化路線を継承したわけですから
連中は、ただ、自分達の政権奪取のために
時の政権の足を引っ張っていだけだったのです
幕府の路線は、明治政府に、そっくり引き継がれました
幕府の政策も井伊直弼の決断も正しかったわけです
もし、世論を敵に回すことが無ければ
幕府が政権を維持したまま、日本は近代化していたかもしれません
コレラの流行は、倒幕の一因となったように思われます
大事なことを一つ思い出しました
安政5年のコレラの流行です
安政5年のコレラの流行は
江戸だけで、約3万人の死者を出したとされます
火葬しきれない棺が山積みになる光景が見られ
狐狼狸(ころり)と呼ばれ、様々な流言飛語が生まれました
コレラは、小さな流行を繰り返し
文久2年(1862)には、ふたたび大流行したのでした
安政5年といえば西暦では1958年、幕末です
この年、江戸幕府は5カ国との条約を結び、開国しました
それまでのオランダ、シナ、朝鮮との関係の他に
欧米列強との関係が加わったのです
しかも、天皇の勅許を得ていない条約締結であったため
違勅と呼ばれ、幕府の立場を悪くするものでした
そんな年にコレラが流行ってしまったのです
まさに、条約締結のタイミングで大流行しましたから
民衆が異国との関係を象徴する災厄と見なしたのも無理はありません
幕府の立場は、さらに悪いものになってしまいました
その後、条約締結を強行した井伊直弼は、桜田門外で殺害され
幕府の権威は大きく低下してしまいました
現代の視点で振り返ると
井伊直弼の決断があったために
日本は、列強と条約関係を持つことができたわけで
井伊直弼は、その後の平和的近代化の基礎を作った偉人です
もし、過激派達が言うように
当時の列強と武力による対決をしようものなら
日本は敗北し、占領され、植民地状態に置かれる危険がありました
不慣れな外交により、不平等条約を結んでしまったとはいえ
列強との関係を、条約関係によりスタートできたことは
日本の近代化に決定的な利益がありました
外国人を排斥しろと喚いていた過激派も
いざ政権を取り、明治政府を開いてみれば
幕府と井伊直弼の開国近代化路線を継承したわけですから
連中は、ただ、自分達の政権奪取のために
時の政権の足を引っ張っていだけだったのです
幕府の路線は、明治政府に、そっくり引き継がれました
幕府の政策も井伊直弼の決断も正しかったわけです
もし、世論を敵に回すことが無ければ
幕府が政権を維持したまま、日本は近代化していたかもしれません
コレラの流行は、倒幕の一因となったように思われます