小学校5年生以来
私は「正義感」に警戒心を持ち続けてきましたが
けして、正義に背を向けて生きてきたわけではありません
それどころか、正義こそが、私の人生の指針であったと思うのです
若い時、医学部を目指したのも「正義感」が動機でした
サラリーマンになった頃は「正義感」など、すっかり忘れていましたが
ビジネスに徹する生き方は、スリリングではあっても
心の底からの満足は得られませんでした
心の底で、私は「正義感」を刺激する何かを求めていたように思います
やがて、仕事以外の自分を探すようになりました
それは、今思えば「正義感」を刺激する生き方だったのでしょう
しかし私は、自分に対し、それを認めませんでした
私にとって、自分らしく生きるということは
あくまで「正義感」と無縁の生き方であるべきでした
自分らしさとは、自分の趣味に合った生き方であるべきだったのです
ところが、私には、夢中になれる趣味がありません
好きなことは読書でしたが
これは趣味というより、書物の中に「正義」を探し求める行為でした
そして、気付いたのです
私にとっては「正義感」を感じることこそ趣味なのだと
「正義」と「趣味」が、私の中では同じだったのです
私は「正義」が大好きだし
「正義」への関心や興味が尽きないのですから
「正義」が趣味だと自覚すれば
それを他人に強制する必要はないし
むしろ、大いに世間に公表し、同好の士を集める方がいいのです
まして、「趣味」の違いで他人と争う必要はありません
よく考えれば、これは私だけの問題ではありません
世界には「正義」を掲げて争う人々がなんと多いことでしょう!
これは、正義が趣味であることを
人々が自覚していないためではないでしょうか?
「趣味」の仲間を集めるのは一向に構いませんが
「趣味」の違いで、人を排除したり、争ったりするのは問題です
”正義は趣味”
と、考えることで
世界は、今よりずっと、平和になると思うのですが・・・
私は「正義感」に警戒心を持ち続けてきましたが
けして、正義に背を向けて生きてきたわけではありません
それどころか、正義こそが、私の人生の指針であったと思うのです
若い時、医学部を目指したのも「正義感」が動機でした
サラリーマンになった頃は「正義感」など、すっかり忘れていましたが
ビジネスに徹する生き方は、スリリングではあっても
心の底からの満足は得られませんでした
心の底で、私は「正義感」を刺激する何かを求めていたように思います
やがて、仕事以外の自分を探すようになりました
それは、今思えば「正義感」を刺激する生き方だったのでしょう
しかし私は、自分に対し、それを認めませんでした
私にとって、自分らしく生きるということは
あくまで「正義感」と無縁の生き方であるべきでした
自分らしさとは、自分の趣味に合った生き方であるべきだったのです
ところが、私には、夢中になれる趣味がありません
好きなことは読書でしたが
これは趣味というより、書物の中に「正義」を探し求める行為でした
そして、気付いたのです
私にとっては「正義感」を感じることこそ趣味なのだと
「正義」と「趣味」が、私の中では同じだったのです
私は「正義」が大好きだし
「正義」への関心や興味が尽きないのですから
「正義」が趣味だと自覚すれば
それを他人に強制する必要はないし
むしろ、大いに世間に公表し、同好の士を集める方がいいのです
まして、「趣味」の違いで他人と争う必要はありません
よく考えれば、これは私だけの問題ではありません
世界には「正義」を掲げて争う人々がなんと多いことでしょう!
これは、正義が趣味であることを
人々が自覚していないためではないでしょうか?
「趣味」の仲間を集めるのは一向に構いませんが
「趣味」の違いで、人を排除したり、争ったりするのは問題です
”正義は趣味”
と、考えることで
世界は、今よりずっと、平和になると思うのですが・・・