三男の運転で、芦ノ湖までドライブしました

カフェなどは、どこも閉まっていました
観光客も少なく、遊覧船も休業していました
散歩をしている人や釣り人が少しいるだけです
人出は、近所の公園並みといったところです

逆に言うと
近所の公園の人出は、いつもと変わらない印象です
家の近くまで来ると
道行く人は、いつもより多く感じました

コロナ騒ぎでも、家にいるだけが能ではありません
あまり遠出をせず、三密を避けるということであれば
行動は、人それぞれでいいわけです

私は、何かにつけて”正義”を強く主張するのが嫌いです
嫌いというより、躊躇してしまいます

小学校5年生の時に、担任の先生が、通知表に

「正義感が強くて、トラブルを起こすことが多い」

と書いてありました

この件で私は
先生からも、親からも、何も言われた記憶がありません
それが間違ったことだとも、正しいことだとも言われませんでした

ただ
生まれて初めて知った「正義感」という言葉と
それが争いの元になるという事実を知らされたことが
その後、今に至るまで
私の心を離れたことが無いということです

「正義感」の意味は、教えられなくとも分かりました
私が争いを起こす時は
相手が間違ったことをするために、我慢がならない時だからです
その感覚を「正義感」というのだと、すぐに理解できたのです

以後
自分の中に正義感の感情が起きると
私は、ぐっと我慢するようになりました
正義感に基づく言動をすることに、慎重になったのです
その代わり、馬鹿をやったり、人を笑わせることに
自己表現の道を見出していったように思います

新型コロナウイルスの騒ぎに
私が、どうにも違和感を感じ続けているのは
状況が誰にも分らないのに
正義感にかられたような発言をする人々が多いことです
何が正しいか、誰にも分らないのに
なぜ?そこまで自信満々でいられるのでしょう?