私のような歴史好きには
どうにも気になる歴史上の人物が何人かいます
私の場合、その内の一人に井伊直弼がいます
本日、たまたま、産経新聞が井伊直弼について書いています
私の先祖は井伊直弼のことを
”掃部頭様(かもんのかみさま)”
と呼んでいました
いかなる御縁があったのかは知りませんが
井伊掃部頭様が首を刎ねられてから
自分の運命も、徳川幕府の運命も変わってしましまったと
いつも、考えていたようです
井伊直弼は、彦根藩主の14男に生まれました
母親は江戸の町人の娘だとも言われています
婿入りの話しも無く、17歳から32歳まで
結婚もせず、300俵の扶持をあてがわれ
自ら「うもれぎや」と名付けた屋敷に暮らしていました
その間、学問や武芸に勤しみ
茶道、居合、文芸において、一家をなすほどでした
「一期一会(いちごいちえ)」
という茶道用語は、井伊直弼の造語です
私の好きな言葉でもあります
井伊家の跡継ぎが亡くなり
直弼は、井伊家後継者となりました
やがて藩主が亡くなり、彦根藩主となったのです
さらに、その後、幕府の大老になり
勅許(天皇の許可)を得ずに、日米修好通商条約を結びました
安政の大獄により、反対派を徹底的に弾圧し
最後は、桜門外の変で殺されました
なんともすさまじい人生でした
彦根藩主時代の井伊直弼は、善政をしき、領民に大変な人気でした
なんと、吉田松陰が、名君であると賞賛していたそうです
藩主あての直訴状は、けして封を切らせなかったといいます
民衆の意見を直接知るためです
桜田門外の変の当日の朝
危険を知らせ直訴状が、彦根藩邸に届いていました
井伊直弼は、それを一人で読み、誰にも知らせず、藩邸を出たのです
いかなる運命も受け入れる覚悟ができていたのです
吉田松陰は、安政の大獄で殺されました
当初は、死罪にはならないはずだったのですが
聞かれもしないのに、自分から老中暗殺計画を話してしまい
死罪になってしまったということです
どうにも気になる歴史上の人物が何人かいます
私の場合、その内の一人に井伊直弼がいます
本日、たまたま、産経新聞が井伊直弼について書いています
私の先祖は井伊直弼のことを
”掃部頭様(かもんのかみさま)”
と呼んでいました
いかなる御縁があったのかは知りませんが
井伊掃部頭様が首を刎ねられてから
自分の運命も、徳川幕府の運命も変わってしましまったと
いつも、考えていたようです
井伊直弼は、彦根藩主の14男に生まれました
母親は江戸の町人の娘だとも言われています
婿入りの話しも無く、17歳から32歳まで
結婚もせず、300俵の扶持をあてがわれ
自ら「うもれぎや」と名付けた屋敷に暮らしていました
その間、学問や武芸に勤しみ
茶道、居合、文芸において、一家をなすほどでした
「一期一会(いちごいちえ)」
という茶道用語は、井伊直弼の造語です
私の好きな言葉でもあります
井伊家の跡継ぎが亡くなり
直弼は、井伊家後継者となりました
やがて藩主が亡くなり、彦根藩主となったのです
さらに、その後、幕府の大老になり
勅許(天皇の許可)を得ずに、日米修好通商条約を結びました
安政の大獄により、反対派を徹底的に弾圧し
最後は、桜門外の変で殺されました
なんともすさまじい人生でした
彦根藩主時代の井伊直弼は、善政をしき、領民に大変な人気でした
なんと、吉田松陰が、名君であると賞賛していたそうです
藩主あての直訴状は、けして封を切らせなかったといいます
民衆の意見を直接知るためです
桜田門外の変の当日の朝
危険を知らせ直訴状が、彦根藩邸に届いていました
井伊直弼は、それを一人で読み、誰にも知らせず、藩邸を出たのです
いかなる運命も受け入れる覚悟ができていたのです
吉田松陰は、安政の大獄で殺されました
当初は、死罪にはならないはずだったのですが
聞かれもしないのに、自分から老中暗殺計画を話してしまい
死罪になってしまったということです