昨夜、父に、元隣家のご主人の死を伝えると
意外にも、たんたんと受け止め
通夜にも告別式にも出席しないと言いました
なんの迷いも無く、きっぱりと、即答でした

父は、先日の須田さんの告別式の時に
体を支えてもらわなければ
自力では、歩くこともおぼつかないことが分かり
外出することの困難を思い知ったのかもしれません

妻の話では
父は、知人に話しかけられても
もう、相手が誰だか思い出せないことが多かっそうで
それも理由の一つかもしれません
話好きの父にとって
そうした状況で人混みの中にいるのは
耐えがたいことだったのでしょう

大勢、人がいる中にいても、話し相手がいない
そうした状況は、体の弱った高齢者にとって
その場にいる意味が分からない状況とも言えます
だったら、はじめから行かない・・・と、なるわけです

最近は、葬儀の規模が小さくなり、家族葬が増えました
高齢化社会となり、お亡くなりになる人も高齢者が多くなり
知人も少ないし、いても葬儀に出席するのが困難だからでしょう
時代の趨勢ということです

葬儀が盛大であった時代を知る者として
若干の寂しさを感じますし、それだけでなく
人の死が、多くの人に知られること無く片付けられてしまうことに
ある種の危惧や危険を考えてしまいます

人の生と死は、けしてプライバシーではありません
近代国家の人間存在は公的なものです
生まれた瞬間から死まで、公的サービスを受ける権利がありますし
成人すれば、公的義務を果たさなければいけません
年金受給を続けたくて、高齢者の死を隠すなど、もってほかです
私は、結婚や葬儀の非儀式化には、無条件には賛成できません