日本の製造業の様々な不祥事。官僚の不祥事・・・
それらについて思うのは、彼らの”愛”の無さです
仕事への愛、日本国への愛・・・それらが、まったく感じられません

仕事を愛していたら、会社を愛していたら
データを改竄してまで、製品を世に送り出そうと思うでしょうか?
国を愛していたら、我が身の保身のために公文書を改竄するでしょうか?

私は、工場労働者や技術者に、強い不信感を持っています
私は、ここ数年、製造業関係者と仕事をしていて
製造業関係者の持つ犯罪的性格に気付いたからです
コミュニケーションが苦手で、感情が乏しく、平気で約束を違えます
無礼な態度をとる者も多いです

高級官僚に、やはり、似たようなタイプが多いことを
最近の不祥事の連発で知りました
これらの問題を考えているうちに、私が気付いたのが
彼らには”愛”が無いということなのです

セクハラなんてことも
本当に女性を愛していたら、起こしようのない事件です
愛が無いから、こういう事件が起きるのです

なぜ、彼らは”愛”を失うのでしょう?
高級官僚と工場労働者の間に、いかなる共通性があるのでしょう?
そう考えているうちに、私は気付いたのです
彼らの人生には”自由”が乏しいということを・・・

高級官僚になるような人は、試験勉強ばかりしていて
自分が好きなことを学んだり、研究したりという経験が少ないでしょう
つまり、頭は良くても”知性の自由”が乏しいのです

工場労働者は、どうでしょう
昔に比べれば、極端な単純作業に従事することは少ないでしょう
しかし、彼らの労働は、あくまで工場の生産過程の一部であり
行動や発想の”自由”はありません

なぜ”自由”が無いと”愛”が無くなるのでしょう
それは”愛”は強制できないからです
自由な意志によってしか”愛”は現れません
他人から愛せと命じられても、人は何も愛することはできません

私は、ここに”自由”の持つ、本当の意義を見出します
”自由”が無ければ”愛”は無いのです

そして、愛はもちろん
ギリシャ哲学が理想とした真・善・美は
いずれも、他者から強制することは出来ません
人は、自由が無ければ
真・善・美とも無縁な人生を送ることになるのです