今日は、亡き母の誕生日です
もし健在であったならば、満90歳です
午前中に、姉達が訪ねてきました

せっかくですから
祖母と母の関係にいつて、少し話しましょう

私が子供の頃は
祖母と母は、見事な連携プレーで、家事をこなしていました
母は、父と共に、農作業で忙しかったので
子供達の面倒や昼食の支度などは、祖母の受け持ちのことが多かったのです
ただし、母は、家に帰れば、休むことなく家事をしましたから
台所は、母と祖母の共同作業の場でした

祖母は、ただ子供達を見ていただけではなく
小学校の先生の家庭訪問の相手をするのは、祖母の役目でした
母が忙しかったこともありますが
祖母の会話能力は、教師との面談程度なら、楽にこなせたからでしょう

母と祖母が打ち合わせをしているところを
私は、一度も見たことがありません
それでも、家事は滞ることなく、スムーズに流れていました
祖母と母が争うのも、見たことがありません
互いの陰口をきくことも、私の記憶にはありません
母は、けっこう、愚痴っぽいところがありましたから
祖母に対する不満はあったと思うのですが・・・

祖母は、普段、母のことは「ハルエ」と呼び捨てでした
ところが、まれにですが、私との会話でも

「ハルエさん」

と言うことがありました
今思うと、これは、祖母が母に抱き続けた敬意の表れだったと思います

母は、女学校を出ていますから、書道も華道もできます
生け花をいけることも、字を上手に書くこともできたのです
本格的な料理を作れましたし、抜群に段取りがいいので
家に集まった数十人分の料理を、一人で作ることが出来ました
体は小柄でしたが、農作業は男性に負けず
私が小学生の時は、すでに自動車運転免許を持っていていました
当時ではめずらしいことで、女性教師が感心していたのを憶えています
祖母は、そんな母を、心の底から尊敬していたのでしょう

母の病気が明らかになった時、祖母は父に厳命しました

「ハルエの治療に金は惜しむな」

「そのために家の財産がある。今、それを使う時だ」

母の手術と祖母が寝たきりになったのが同時でしたから
父は、母と祖母を、別々の病院に
ほぼ同時に、入院させることになってしまいました
父が金を惜しんだわけではありませんが
母は、それから2年弱しか生きられませんでした

父が、ご近所の人達との団体旅行に出掛けた日
会社から帰った私が母の寝室に行くと、母は床の中で硬直していました
私がマッサージすると、母の体が動きました
すぐに主治医を呼びました

主治医は心臓マッサージをして、救急車を手配しました
かかりつけの病院に運ばれ、呼吸器などを装着しましたが
深夜に、母は息を引き取りました

駆けつけた母の妹が、大きな声で母に呼びかけると
母は強く、彼女の手を握り返しました
それが母の、最後の意思表示でした

寝たきりで、意識もほとんど無いまま、老人病院にいた祖母は
当然ながら、この事態は何も知りません
ところが、翌日、伯母が、祖母の入院している老人病院に行くと

「ハルエさんとは、誰ですか?」

と、看護婦さんから聞かれたそうです
その夜、祖母は、一晩中、母の名を呼び続けていたのです

意識も無い寝たきりの祖母は
それでも、母のことを心配し続けていたのでしょう
その強い思いが、ある種の霊力によって
離れた場所にいた母の危機と臨終を感知したのです
私には、そうとしか考えられません