父は、祖母と同世代の人から

「お宅のおばあさんは、今なら東大だよ」

と言われたことがあるそうです

祖母は、勉強が得意で、しかも好きだったのです
しかし、学校には、ちゃんと通わせてもらえませんでした
家が貧しかったためか、体が弱かったためか
あるいは、女だったためなのか・・・
今となっては、確かな理由は分かりませんが
行きたくても、学校に行けないことがあったのです

「学校に、ちゃんと通わせてもらえなかった」

そう語る時の祖母は、本当に悔しそうで、悲しそうでした
何年たっても、何十年経っても、一生
その思いは消えない強いものだったようです

とても好奇心の強い人でした
テレビを真剣に観ては

「今では、家にいて、世界中を旅行したのと同じだ」

と言っていましたが
本音では、世界中を旅したかったのでしょう

祖母は、編み物が好きで
よく座布団カバーなどを作っていました
余り物の毛糸を使い、自分好みの色の配置にするのですが
これが時に、驚くほど鮮やかな色彩を作り出していました
あきらかに祖母の”作品”と呼んでいいレベルの出来でした

使わなくなって放置されていた剣山を使って
祖母が、雑草を使った独自の生け花を作ったのを見たことがあります
祖母が庭の隅に作っておいたのを見て、私は驚嘆しました
そこに独自の美意識が表現されていたからです

私がほめると

「遊びで作ったんだ、バカにするな」

と、祖母は怒りました

おそらく、イタズラを見つかった子供のような
バツの悪さを感じたのでしょう

祖母は、手芸にしろ、生け花にしろ
すべて自己流で覚えたため
自分のやることに価値があるとは考えていませんでした

まともな教育は受けていないし、習い事の先生についたこともない
そのことは、祖母の大きなコンプレックスでした
何かを教えてくれる人がいると、その人が自分よりずっと年下でも
まるで子供が先生につくように、素直に学ぶのでした

昔の我が家の茶の間の壁にはモナリザが張られていました
物入れの扉には、西伊豆の海岸と富士山の写真が張られていました
いずれも、祖母の仕業であることは間違いありません
カレンダーだったのか、雑誌のグラビアだったのか・・・
とにかく、祖母は気に入り
鋏で切り取り、糊で貼り付けたのです

祖母には、明らかに芸術家気質がありました
心の内側から、何かを表現したという情熱が自然に湧き出ていました
その、ささやかなはけ口が、編み物であり、生け花だったのです
実際、祖母には、オノ・ヨーコや草間彌生に共通する
独特の雰囲気がありました