桶狭間の戦いの本質は
移動中の長く伸びた隊列を
側面から、ピンポイントで
今川義元本陣を突いたことにあります
織田信長は、圧倒的な兵力差を
局面に兵力を集中することで克服したのです

問題は、その方法です
従来、少数の兵力を迂回させ
側面から義元本陣を突いたと考えられてきました
そのルートや兵力数には議論が分かれても
考え方は同じなのです

私は最近、この従来説に疑問を持つようになりました

織田信長について、本格的に学ぶために

「信長公記」

を、私は読み始めました

より直接的な目的は「桶狭間の戦い」について知ることでした
ところが「信長公記」には
桶狭間の戦いの記述は、少ししかありません
この記述からは、全容がつかめないのです
桶狭間の戦いについて、従来言われてきたことは
「信長公記」以外に出典があるらしいのです
しかしそれらは、私の手元にはありません

私は、インターネット等で調べた桶狭間の戦いについて
自分なりに検討していたのです
そして、従来説とは異なる結論に至りました

桶狭間で信長が用いた戦法は
長槍を持った足軽による集団突撃です
信長自身が、馬を下り、槍を持って
足軽達と共に、戦ったのです

問題は、清洲城から桶狭間までの距離です
この距離を長槍を持った足軽が移動したら
彼らは疲労困憊して、戦いどころではないと思います
しかも、その様子は
大高城に入った松平元康(徳川家康)からは丸見えです
とても奇襲はかけられそうもありません

私は、ここに、新説を唱えます

”足軽部隊伏兵作戦”

です

沓掛城と大高城の間に伏兵を置き
移動中の今川義元を側面から奇襲するという作戦です

信長の軍勢は黒い煙を上げて、一斉に山を下ってきたと言われます
この黒い狼煙こそ、伏兵達への”一斉攻撃の合図”だったのです
白い狼煙では、誰かが焚き火をしても、間違えてしまいますから