奈良の旅の目的は「快慶展」を観ることでした
それは、すでに、お話ししています
実は、もう一つ目的があったのです
興福寺を観ることです

私は、ずっと、戦国時代の事を考えていて
戦国時代の発端となった応仁の乱を調べてみたのでした
そして、興福寺が奈良の中心であったことを知ったのです
奈良は、武士ではなく、興福寺が治めていたのです
私は、驚くとド同時に、大変、興味を持ったのです

「ならば、実際に、興福寺を観てこよう」

というわけです

結論から言えば
興福寺は、奈良公園の一部となっていて
寺という体裁を維持していません
公園の中に、五重塔など、いくつかの建物が残っているだけです
なんと、私が宿泊した”奈良ホテル”は
もともと、興福寺の敷地だったところに建っているのです

これは、どういうことでしょう?

興福寺は、明治維新の時に、解体されてしまったのです!
五重塔も、焼却されるところを
地元の反対で、何とか残されたのです
仏像の多くも破壊されたらしく
”阿修羅像”が残ったのは奇跡的なことかもしれません

私は”興福寺の謎”という
新たなテーマに頭が占領されてしまいそうです
いずれ、なんとかせねばならないでしょう
興福寺は、何故、破壊されたのか?