歴史について考えるということは、どういうことでしょうか?
私は「歴史の考察」を書きながら
あらためて、自分の知識不足を思い知らされます
それでも私が素人歴史談義を続けるのは
既存の歴史の常識の中に
私には納得出来ないものが多々あるからです
昔から謎であった羽柴秀吉の
「中国大返し」
などは、瀬戸内海航路を使えばなんでもありません
ところが、私の知る範囲では、その様な主張は見当たりません
そして、当然ながら
秀吉が「本能寺の変」を知ったのも
瀬戸内海航路を使った情報員によるものである・・・
と、私は考えるわけです
私には見えるのです
織田信長が四国征伐や中国攻めをしようとする時
瀬戸内海には、昼夜を問わず
多くの高速スパイ艇が行き交っている情景が・・・推理と言うより
歴史の現場に身を置けば、当たり前の景色として、見えてくるのです
同じく
6才の徳川家康が、人質として尾張に送られて来れば
好奇心旺盛な14才の織田信長は、すぐに見に来て
目をパッチリと見開き、気性の激しさが一目で分かる、そのチビを
一遍で気に入ってしまう・・・その情景が、私には見えるのです
家康幼少時の2年間の尾張での生活が
織田信長との20年にわたる同盟関係の基礎となったのは
二人の幼少年期の交流を考えなければ説明できません
もし、ここで、家康が、信長に嫌な感情を持つ経験をしていたら
あり得ないことなのです
松平元康(徳川家康)の織田信長に対する好意的態度は
今川に対するそれとは、あまりにも7対照的です
家康は「桶狭間の戦い」の直後に
妻子を駿河に残しながら、平然と、今川を裏切ったのですから・・・
家康には、人質時代の自分をいじめた今川の武士を
さんざん恨み事を言った後で、首をはねたエピソードさえあります
家康は、幼少年期の記憶を忘れない人でした
人は感情の動物です
戦国大名といえども例外ではありません
私には、まるで弟のように小さな家康を可愛がる
織田信長の姿が見えるのです
おそらく、歴史学者は、証拠が無いことに理由に
否定したり、断定を避けるであろう上記の事例等は
私にとっては、あまりにも明らかな”事実”と見えます
貴方には、見えませんか?
私は「歴史の考察」を書きながら
あらためて、自分の知識不足を思い知らされます
それでも私が素人歴史談義を続けるのは
既存の歴史の常識の中に
私には納得出来ないものが多々あるからです
昔から謎であった羽柴秀吉の
「中国大返し」
などは、瀬戸内海航路を使えばなんでもありません
ところが、私の知る範囲では、その様な主張は見当たりません
そして、当然ながら
秀吉が「本能寺の変」を知ったのも
瀬戸内海航路を使った情報員によるものである・・・
と、私は考えるわけです
私には見えるのです
織田信長が四国征伐や中国攻めをしようとする時
瀬戸内海には、昼夜を問わず
多くの高速スパイ艇が行き交っている情景が・・・推理と言うより
歴史の現場に身を置けば、当たり前の景色として、見えてくるのです
同じく
6才の徳川家康が、人質として尾張に送られて来れば
好奇心旺盛な14才の織田信長は、すぐに見に来て
目をパッチリと見開き、気性の激しさが一目で分かる、そのチビを
一遍で気に入ってしまう・・・その情景が、私には見えるのです
家康幼少時の2年間の尾張での生活が
織田信長との20年にわたる同盟関係の基礎となったのは
二人の幼少年期の交流を考えなければ説明できません
もし、ここで、家康が、信長に嫌な感情を持つ経験をしていたら
あり得ないことなのです
松平元康(徳川家康)の織田信長に対する好意的態度は
今川に対するそれとは、あまりにも7対照的です
家康は「桶狭間の戦い」の直後に
妻子を駿河に残しながら、平然と、今川を裏切ったのですから・・・
家康には、人質時代の自分をいじめた今川の武士を
さんざん恨み事を言った後で、首をはねたエピソードさえあります
家康は、幼少年期の記憶を忘れない人でした
人は感情の動物です
戦国大名といえども例外ではありません
私には、まるで弟のように小さな家康を可愛がる
織田信長の姿が見えるのです
おそらく、歴史学者は、証拠が無いことに理由に
否定したり、断定を避けるであろう上記の事例等は
私にとっては、あまりにも明らかな”事実”と見えます
貴方には、見えませんか?