竹千代(徳川家康)は、人質交換により
駿河に送られることになりました
私は、竹千代が尾張を離れる日のことを想像します

信長は竹千代に別れの言葉を掛けます

「また会おう、必ず、それまで生きているのだぞ!」

涙で潤む目をしばたたきながら
竹千代は、涙でかすむ信長を見て
ただ、頷くしかありませんでした
そして

「また会おう・・・  」

の言葉を、胸に深く刻みつけたのです

駿河での竹千代の人質生活は
豊かな今川義元のもとで
物質的には不自由はしませんでした
駿河から三河まで逃亡するのは困難ですから
監視も、さほど厳しくなかったはずです
しかし、精神的には辛いものだったようです
見下されたり、馬鹿にされたり
嫌がらせやイジメを受けていたのです

気性の激しい竹千代は
悔し涙に枕を濡らして、床につくこともあったでしょう
そんな時、尾張を離れる時の織田信長の言葉を
あの、自分を守ってくれた優しい兄さんの言葉を
じっと噛みしめて、耐えていたのです

そして誓ったはずです
卑屈にならず、自暴自棄にもならず
武術の稽古にも学問にも精を出し

「いつ信長様に会っても、恥ずかしくない武将になろう!」

・・・と

徳川家康は、武術にも学問にも秀でた武将です
そして堪忍(怒りをこらえること)を極めて重視しました
いずれも、人質時代に形成された、能力と思想だったのです