徳川家康は「姉川の戦い」の時には、すでに

「厭離穢土、欣求浄土」

の旗印を掲げています
(おんりえど、ごんぐじょうど)
と、読みます

「汚れた地を離れ、清らかな地を求める」

と言う意味であり

「戦国の世を終わらせ、平和の世にする」

という意味になるのです

家康は、独立した小大名になって
織田信長と同盟を結んだばかりの頃から
平和の探求こそ、自分の使命と考えていたのです

「桶狭間の戦い」で、今川義元が織田信長に討たれると
今川軍の最前線にいた家康は
三河の菩提寺、浄土宗・大樹寺に逃げ込み、自害しようとします

大樹寺の住職・登誉は浄土三部経からの一節

「厭離穢土、欣求浄土」

を示し、家康に自害を思い止まらせたのです

織田信長と同盟を結んだことも
織田信長を助けるために命懸けで戦ったことも
徳川家康にとっては”平和の探求”だったのです

戦国大名は”血に飢えた殺人鬼”だと思っている人がいます
事実、彼らは多くの人を殺し、見せしめの残虐行為もしています
徳川家康も、織田信長も、この点では例外ではありません

にもかかわらず、実際は
徳川家康は、一貫して、平和を求めていたのでした
そして、家康にとっては、織田信長こそは
命に代えても守りたい”平和の創造者”だったのです