天正10年6月2日、京都、本能寺で
一体、何が行われようとしていたのでしょうか?

それは

”織田軍団関東制圧計画の発表”

でした

主催者は織田信長、主賓は徳川家康
これに畿内の著名人も招待され・・・

1、織田軍団連合軍で小田原の北条を亡ぼす
2,その後、関八州の支配者として、徳川家康が江戸に入る
3,徳川は現所領である三河、遠江、駿河を放棄する

という計画が発表される予定でした

何故、こんなことをする必要があったのでしょうか?

徳川家康は、織田信長の家臣ではなく、あくまで同盟者です
家臣であれば、国替えを命じるだけで済んだのです
ところが、徳川家康は、あくまで独立した大名です
独立した大名に対しては、戦国時代の常識では
所領を奪うことは、戦で倒す以外の方法が無かったのです

織田信長としては、なんとしても、平和的方法で
この”国替え”を、徳川家康に同意させたかったのです
そこで大芝居を打って、安土城で家康に同意させると
これをすぐに、京都で発表し、既成事実化したかったのです

織田信長は、徳川家康に絶対の信頼を置いていました
尾張と地続きの三河を家康の所領と認め
永い間、かたく互いに尊重し、信義を守り、共に戦い
ついに、共通の敵・武田を亡ぼし、天下統一が見えてきたのです

信長は、この関係を、今後も
さらに発展的に継承したかったのです
次の、より大きな戦いのために
東日本を徳川家康に任せたかったのです

これまでは、濃尾平野の東の端を家康に任せることで
安心して、敵と戦い、所領を拡大し続けられました
今度は、関東を中心として、東日本全体を家康に任せることで
安心して次の敵と戦う基盤を作ろうとしたのです

次の敵とは・・・
スペイン、ポルトガル、イエズス会
さらに、キリスト教世界の植民地勢力全て
それらが、織田信長の心の内に秘められた”次の敵”でした