昨年の6月
私は、このブログで

「本能寺の変」

の特集をしていました

私の解釈では
「本能寺の変は」は日本における

”宗教戦争”

です

仏教や神道などの日本の伝統宗教が
織田信長を嫌ったのです
そこで彼らは、織田家臣の中で
織田信長との未来に不安を抱く明智光秀をけしかけ
謀反を起こさせたのです

最近、私の説を裏付ける新資料が発見されました

愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に
織田信長を批判的に表した詩文が引用されていたと
島田大助・豊橋創造大学教授(日本近世文学)や
高橋俊幸住職が発表しました

文書は、江戸時代初期に書かれたとされる開山記です
その冒頭に、京都・東福寺の住持を務めた集雲守籐の別号とされる
江湖散人の詩文が引用されていました
詩文は、信長が明智光秀に討たれた翌月の
1582年7月に作られたとみられます

詩文は

信長は京を慎護して二十余国を領したが
公家を蔑ろにして、万民を悩まし
苛政や暴虐は数え切れない
死亡して、人々は拍手し
天下が定まった

という意味の記述があったそうです