「本能寺の変を」を様々な側面から考え続けています

歴史的意味は極めて重大です
しかし、事変そのものの持つミステリアスな性格も
当方の探究心を刺激する謎です

一番不可解なことは
羽柴秀吉が10日間もかけて
備中松山城から京都まで攻め上ってくる間
誰も、京都の明智光秀を討とうとしなかったことです

信長直属の軍団は何をしていたのでしょう?
信長の長男信忠は、信長と同日、二条御所で自害してしまいましたが
彼は、せいぜい500程度の軍勢を率いていただけです
他の家臣団はどこにいたのでしょう?

そればかりではありません
信長の次男信雄は何をしていたのでしょう?
三男信孝は四国攻めの総大将として
大阪湾に軍船を集結し、すぐにでも進発できる体制のはずでした
彼は、なにをもたもたしていたのでしょう?

私の手元には、そうした謎を解明する資料はありません

はっきり言えることは
羽柴秀吉が織田家の主導権を握って以来
織田家の家臣団は、柴田勝家や滝川一益ら一部を除いて
すべて羽柴秀吉の傘下に入ったということです
羽柴秀吉は、織田信長の強大な権力を
そっくり受け継いでしまったのです

「本能寺の変」と、変後の帰趨は
明智光秀の事前の根回しは、ことごとく裏切られ、失敗し
羽柴秀吉が、秘密裏に行っていた事前の根回しは
どれもこれも、驚くほど上首尾であり
織田家に臣従する者のほとんどは
羽柴秀吉に臣従してしまったということです