明智光秀は、幕府の役人でしたが
信長と将軍の関係が悪くなると
将軍・足利義昭に見切りを付け、織田信長に臣従します

そして、信長とともにやったことが

「比叡山焼き討ち」

です

その後、信長と光秀は、石山本願寺攻めもしています
仏教関係者には、両者とも、許しがたい人物です

そればかりではありあせん
すでに、足利義昭の元で幕府の役人をしている時に
東寺の寺社領を横領したと、訴えらています

さらに言えば
光秀の築いた福知山城は墓石が石垣に使われています
明智光秀もまた、信長とともに
宗教関係者、そして京都に嫌われた者でした

明智光秀の行動をみていますと
自分に人望が無いということに無自覚です
ナンバーツータイプの人間によく見られる性格です
豊臣秀吉の家臣、石田三成も、このタイプでした・・・

サラリーマンにもいます
有力者の腰巾着になって、それなりの権勢を振るうのですが
周囲からは嫌われていて
やがて、その有力者がいなくなると
誰からも相手にされなくなるというタイプです

私が明智光秀の性格を問題にするのは
本能寺の変の帰趨は、つまるところ
明智光秀と羽柴秀吉の性格の違いによって決まったと考えるからです

明智光秀が政権を取れなかったのも
羽柴秀吉が政権を取れたのも
彼らの性格が決定的な要素であった考えられます
羽柴秀吉は人心をつかみ、明智光秀は、それができなかったのです