織田信長は
日本における最大のキリスト教庇護者でした
事実上のキリシタン大名でした
織田信長自身は、キリスト教徒ではありませんが
彼は、大量の鉄砲と弾薬を維持するため
キリシタン擁護政策をとったのです
そして、比叡山焼き討ちや石山本願寺攻撃を仕掛けたのです
やっていることは、キリシタン大名そのものでした

京都の人々
仏教・神道関係者
そして、その頂点に位置する天皇と朝廷にとって
織田信長は、好ましからざる人物の最たる者でした
誰もが、彼の滅亡を望み、彼の死を祝福したのでした

おそらく
最初に信長暗殺を考えたのは、京都の人々でした
その代表が。吉田兼見や近衛前久だったのです
彼らは、信長に服従するふりをしながら
密かに、信長暗殺のチャンスを狙っていたのです

京都で
神官や公家が、織田信長の所行を苦々しく耐えていた頃
織田家内部からの不協和音が聞こえてきました
織田信長を支えた有力武将達が
将来に不安を持つようになっていたのです

苦悶する京都の人々にとって
京都と関係の深かった明智光秀は
信長暗殺計画を実行する上で
抱き込むべき、最も身近な存在でした
光秀を抱き込み、彼らは、信長暗殺を実現したのです

日本における伝統宗教とキリスト教の対立
これこそが、本能寺の変の要因であり、本質でした