私が本能寺の変に関心を持ったきっかけは幾つかあります
その一つが、NHKテレビの

「その時歴史が動いた」

です

番組の中で、松平アナウンサーは

「信長が討たれると、京都全体がお祝いの様になった」

と言う意味のことを語っていました

織田信長は京都の人々に嫌われていたのです
なぜ、信長は京都の人々に嫌われていたのでしょう?
私は、その点に興味を持ちました

京都とは何か?
天皇のいる政治の中心でしょうか?
しかし、戦国時代も、現代も
天皇に政治的権威はあっても、権力はありません

特に、本能寺の変の前は
織田信長にすべての権力が集中しようとしていた時です
信長は、望めば
太政大臣、関白、征夷大将軍の、いずれにもなれたのです
朝廷は、どんな地位でも、信長に差し出す気でいました
このことを歴史学者は「三職推任」と呼んでいます

ひとたび、信長が上洛するとなれば
主だった公家達は、ただちに、信長の元に参上したのです
信長は、すでに京都では、絶対の権力者でした
京都ではなく、信長こそが
信長のいる場所が、権力の中心だったのです

京都の人々は、信長の何を嫌ったのでしょう
そして、京都とは?
もし、政治の中心でなければ、何だったのでしょう?