織田信長には
弥助という黒人の小姓がいました
弥助について、少し書いておきましょう

弥助は、奴隷として
イエズス会の宣教師が日本に連れてきました
当時の日本人は、黒人を見るのは初めてです
人々は大変な興味を示し、大騒ぎになったのでした

信長も、大変な興味を示し、すぐに引見しました
信長は、わずかな日本語しか解しない弥助ではありましたが
互いにコミュニケーションが可能なことを見出すと
イエズス会から引き取り、自分の小姓としました

小姓というのは、現代で言えば秘書官のような立場です
武家社会では、小姓になることは、側近として、立身出世の早道です
小姓に取り立てられるのは
武家社会のエリートコースに乗ったことを意味します

弥助は、奴隷の身分を離れ
武家社会のエリートコースに乗ったのです
信長のしたことは
近代における、最初の”奴隷解放”だったかもしれません

弥助は、当時20代の半ば
188㎝の長身と、十人力と言われる体力の持ち主でした

本能寺の変の時は
信長の命により、二条御所に移った弥助は
そこで、明智方と戦い続けました

最後に弥助と対峙した武将は
おそらく、剣の達人だったのでしょう
剣を持って恐怖におののく弥助に対し

「恐れることはない、剣を捨てろ」

と言う意味のことを伝え、無事、弥助を保護しています

弥助は、片言の日本語と、表情や仕草だけで
相手の真意を読み取ることができたのです
弥助の身柄は、明智光秀の指示により、イエズス会に引き渡されています

イエズス会に保護された弥助は
信長が、明智光秀を足蹴にしたことや
本能寺で明智の軍勢の抱囲された時に

「こうなったのも自分に原因がある」

と語ったことを伝えました

そして、その時、信長は自分の唇を指さしたことも・・・

弥助とコミュニケーションをとる時に
信長は”自分”を意味する時
唇のあたりを指さすようにしていたことが
このエピソードから分かります

本能寺の変の後
羽柴秀吉は、イエズス会に対し
弥助の身柄の引き渡しを要求します
そして、弥助の身柄は秀吉に渡されました
以後、弥助に関する情報は消えます
秀吉は、本能寺の変の真相を知る者を消したのです