明智光秀の最期は
ただ一人城を抜け出して逃げ延びようとした時に
土地の百姓による”落ち武者狩り”で殺されたとされています

武士同士の戦闘で死んだのではないのです
武士としては、惨めな死に方であったわけです

本能寺の変の時に
二条御所で討たれた信長の長男・信英は、逃亡を促す家臣に対し

「この状態で逃げても、百姓の落ち武者狩りで殺されるかもしれない」

「そんな惨めな死に方をするより、ここで死ぬ」

と言って、自害したそうです

戦国時代とは、そういう時代でした
ひとたび戦乱が起きると、秩序は失われ
百姓達も武器を取り、落ち武者を襲うのです
それは自衛のためでもあったのです
そうしなければ、自分達が襲われてしまうからです

この時代は、百姓も刀や槍、鉄砲を持っていました
寺院には僧兵がおり
庶民もまた、それぞれ、何らかの武装をしていたはずです

それが戦国時代です
武士達だけではなく、日本中の人々が戦乱に巻き込まれ
何らかの形で、戦闘に参加していたのです