吉田兼見は朝廷と織田信長の連絡係でした
細川藤孝とは従兄同士です
日記を残し、これが本能寺の変をはじめ
この時代の貴重な資料となっています

吉田兼見の日記は
本能寺の変のところは二つあり
明らかに、片一方は、後から書き
秀吉に見せても大丈夫なように
自分の身を守り、秀吉の立場に都合良く書かれています

明智光秀への勅使になっていること
その時に、銀50枚を光秀から拝領していること
これらのことから分かることは
吉田兼見は、光秀の謀反を事前に知っており
それどころか、ほとんど共謀者であり
朝廷に手回し良く勅書を出させたということです

朝廷の事務方のトップ
近衛前久は、当然、光秀の謀反を事前に知っていましたが
秀吉との関わりは無かったらしく
光秀が秀吉に討たれると、逃亡してしまいました

近衛前久が逃亡したのに、吉田兼見は平然としていました
それどころか、事変後は、羽柴秀吉と様々な折衝までしています
光秀とグルであったにもかかわらず・・・
それはつまり、羽柴秀吉にも通じていたということです

細川藤孝も事情は同じです
藤孝も、光秀謀反の計画を、当然ながら光秀本人からも
従兄の兼見からも、事前に知らされていました
そして、その情報を秀吉に流していたのです

明智光秀の謀反を事前に知っていた
そして、ほとんど共謀者に近い立場だった
吉田兼見と細川藤孝の二人は、羽柴秀吉にも通じており
明智光秀を裏切り・・・結果として
秀吉の天下取りに決定的な役割を演じました
その後、豊臣政権のもとで、強い立場を持つことになったのです

はっきり言えば
明智光秀は彼らに嵌められたのです
光秀の計画は、仲間だと思っていた連中の裏切りにより
脆くも、崩れ去ってしまったのです