本能寺の変の後の明智光秀の行動を検討すると
6月2日から7日までの6日間は、ほぼ計画通りにいき
その後13日の山崎の合戦で敗れるまでの6日間は、思惑が外れています

前半6日間のハイライトは
見事、信長の命を奪ったことと
安土城に無血入城をはたしたことです
そして、その安土城に天皇の勅使を迎えたことです

後半6日間の思惑外れは
秀吉の予想外に早い反転攻勢
細川藤孝、忠興父子、筒井順慶の離反
高山右近らからの攻撃、等です

本能寺の変は、失敗したクーデターという印象が強いですが
前半の6日間を見る限り、なかなか段取りが良く
これが、突然の思いつきや単独犯ではないことは明らかです

特に、安土城への無血入城は信じがたいことです
ここは明智光秀の居城ではありません、信長の居城です!
琵琶湖の湖畔に建ち、周囲には城下町が広がる
当時の、日本最大の城です

信長は、わずかな供回りだけを率いて京都に行ったのであり
安土城には、信長直属の軍団が残っていたはずです
その数は、明智光秀の手勢などは軽く凌駕し
籠城どころか、城から打って出て
明智軍団を打ち負かせる力があったはずです
それなのに・・・ほとんど、城は空っぽだったのです

明らかに
明智光秀は、安土城が空っぽなのを知っていたのです
そして
朝廷は、光秀が信長を討つことを知っていたのです