羽柴秀吉は嘘つきです
少なくとも「本能寺の変」前後の動きは嘘ばかりです
ありえない話しの連続なのです

まず、有名な”中国大返し”です

京都で「本能寺の変」が起きた時
羽柴秀吉は、松山城を水攻めにしながら、毛利方と対峙していました
そこで「本能寺の変」の情報を毛利方に伝える使者が捕らえられたのです

事実を知った秀吉は、直ちに毛利方と和睦し
主君織田信長の仇をとるべく、ひたすら京に兵を進めます
そして、山崎の合戦で明智光秀を破り、見事、主君の仇をとるのです
これが有名な”中国大返し”なのですが・・・

まず、おかしいのは
毛利方の使者が秀吉の陣地で捕らえられたということです
京都の情報を中国地方に伝えるのに
わざわざ戦闘中の山陽道を陸路で行くでしょうか?
京都からであれば、宇治川から、淀川
そして、大阪湾から瀬戸内海航路を使うのが一番早いでしょう
まして陸地は戦場なのですから・・・

陸路を使って、途中で捕らえられ
最重要情報が敵方に漏洩してしまったなどと
子供だましの作り話に過ぎません

松山城から山崎までは200㎞以上有ります
ちょうど箱根駅伝の往復の距離と同じくらいだそうです
鍛え上げたアスリートが、たすきを継いで走り続けて
丸2日かかる距離です
歩けば、少なくとも、その5倍の時間はかかるでしょう

まさに、そのスピードで
10日間程度で、羽柴秀吉軍は移動したのです
雨の続く梅雨時に、未舗装の道を、万を超える軍勢が、重い軍装とともに・・・
そして長旅の疲労をものともせず、明智軍を打ち破ったのです
恐るべき機動力と統率力と言わなければなりません
しかも、何の準備期間も無かったにもかかわらず!

こんな話しを、全面的に信用していいものでしょうか?
移動時間もさることながら、事前の準備もせずに出来る行動ではありません
常識的に考えれば
事前に承知していないかぎり、できないことです