私は徳川家康が好きです
ところが豊臣秀吉は、どうも好きになれずにいました
「朝鮮出兵」のことも、その理由の一つだったかもしれません

最近、戦国時代を勉強し直して
豊臣秀吉へに意識が変わり始めています
彼が国際情勢を正確にとらえていて
超大な構想の持ち主であったと考えるようになったからです

豊臣秀吉にとって、天下統一は最終目的ではありませんでした
その先に、世界を植民地化するヨーロッパとの闘いが構想されていました
そう考えることで、彼の行動の意味が理解できるのです

小田原攻めについて考えてみます
この城は、武田信玄も上杉謙信も落とせなかった堅城です
だから秀吉も力攻めをせず、城側が降伏するのを待った
そのように考えることが妥当でしょう

しかし、私の考えは少し違います
すでに天下統一が見えていた秀吉は、次の段階を考えていたのです
すなわち「朝鮮出兵」を考えていたのです
ともに日本軍として戦うのですから、双方の損耗は少ない方がいい
感情的対立も最小にしたい、ということです

伊達政宗をはじめとして、東北の諸将を呼び寄せたのも同じ理由です
力攻めにする気が無いのですから、戦力は不足していません
秀吉は、すでに腹案として
小田原北条氏滅亡後、関八州を徳川家康に与えることを決めていました
徳川家康の関八州統治が上手くいくように
東北諸将の服属を確実にしておきたかったのです

もし、秀吉が、日本の天下統一だけが目的であったなら
最大のライバルである徳川家康と、東北諸将を争わせ、双方を疲弊させ
漁夫の利を得る戦略をとるべきでした
そうしなかったのは
秀吉は、小田原攻めで、国内問題を終わりにするつもりだったからです

秀吉は臣下に気前よく領地を与える武将です
これは、秀吉の生来の気前良さばかりが理由ではありません
秀吉の頭の中には世界地図があり
日本は小さな島国であることを明瞭に認識していたからです
そんな小さな土地は、秀吉にとっては、さほど重要ではなかったのです