数年前、東北のある市の関係者から
震災復興事業をしたいので、参加して欲しいと要請があり
東日本大震災の被災地を視察したことがありました

津波の被害状況とは別に、私には忘れられない思い出があります
石巻の月浦にある支倉常長遣欧使節の記念碑を見たことです
驚きました・・・400年も前に、自前の船で
東北の港を出港し、太平洋を横断した人々がいたことを

支倉常長は、伊達政宗の命により
太平洋を横断し、メキシコのアカプルコに至り
そこからは、陸路で大西洋側に進み
スペイン艦船に乗ってスペインに渡りました
さらに陸路で、ローマまで行き、ローマ法王に謁見したのでした

勝海舟や福沢諭吉が咸臨丸に乗って太平洋を横断する250年も前です!
勝や福沢は、自分達の関わった、日本人による太平洋横断の快挙を
偉大な大事業であると、後々まで語っています
彼らは支倉常長の事績を知っていたのでしょうか?

私が驚いたのは、伊達政宗の発想です
国際情勢を踏まえた上での、徳川幕府に対する対抗策です
もし徳川が、伊達をつぶしにかかるなら、あえて戦う覚悟だったのです

徳川家康の外国人ブレーンは
ウイリアム・アダムスはイングランド、ヤン・ヨーステンはオランダ人であり
どちらも新教(プロテスタント)です
これに対し、伊達政宗は
旧教(ローマ・カトリック)勢力を味方に付けようとしたのです

伊達政宗は、もし存亡の危機に立たされたならば
日本を舞台に、旧教と新教の代理戦争に巻き込んでも
戦い抜くつもりだったのです

伊達政宗の、徳川に対する恐れは強く
考えられる限りの、あらゆる方策に手を付けていました
たとえば、大阪の陣の後、真田幸村(信繁)の遺族を匿っています
彼の頭の中には、国内国外問わず、ありとあらゆる情報がインプットされていて
打てるだけの手を打っているのです

私が最も感銘を受けたことは
私には、東北の有力大名という認識しかなかった伊達政宗が
国際情報に通じ、地球的規模で物事を考えていたことです

あれ以来、私の戦国大名達への認識が変わりました
彼らは、日本地図ではなく、世界地図を見ながら、戦略を練っていたのです
そして”やらなければ、やられる”という「弱肉強食の論理」を
地球規模で考えていた人々だったのです

私が、豊臣秀吉の朝鮮征伐を考える時
真っ先に思い浮かぶのが、伊達政宗の遣欧使節のことなのです
ちなみに、支倉常長は天皇家の血を引く名門の出身であり
しかも、朝鮮征伐にも参戦しています