私は馬について考え続け
馬への認識が乏しい豊臣秀吉は
徳川家康を関東に移封するというミスを犯し
また、馬の輸送の困難な朝鮮半島での戦をして
失敗し、豊臣氏を滅亡に至らしめた・・・と考えました

しかし、これでは、私自身が納得できません
あまりにも馬中心にモノを考えていて、全体像がとらえられていません
話は逆ではないのか、むしろ

"朝鮮征伐を想定した上での徳川家康関東移封"

ではなかったのか?
という疑問が出てきたのです
そして、それが正しいと確信するに至りました

当時の東アジアの国際情勢を考えれば当然なのです
フィリピンを拠点として
当時の超大国スペインは、東アジア制圧を虎視眈々と狙っていました
最大の目標はシナです・・・当時の国名は明です
これに敢然と立ちはだかったのが豊臣秀吉だったのです

秀吉は、超大国スペインに対し”臣下の礼”を要求しました
対等の付き合いさえ拒否したのです
当然ながら、スペイン王の使いは、こんな要求を王に伝えられません
しかし、拒絶することも出来ません
東アジアにおいては、日本の軍事力が勝っていたからです
秀吉は現実を冷静に洞察していました

当時、明は弱体であり
東シナ海の交易は海賊が跳梁跋扈し、無秩序でした
そうした事態もまた、秀吉には、解決すべき問題であると認識されていたのです
明の現状は、海賊の取り締まりも出来ないばかりではありません
このままでは、やがてスペインに占領されてしまうのです
そうなれば、日本には決定的な脅威となってしまいます
そうなる前に、明を征服しておく必要があったのです

私は”朝鮮征伐”という表現を使いましたが
これは適切な表現ではありません
”文禄・慶長の役”と呼ばれる、この戦争は、日本と明の戦争です
朝鮮は、明の属国であったため、戦にかり出され、領土を戦場にしたのです
明から独立し、日本に協力すれば、このような悲劇は避けられました
秀吉には朝鮮を征伐する意志などなく、あくまで協力を要請しただけです
したがって、秀吉自身は、この戦争を”唐入り”と呼んでいました
あくまで、目標はシナ大陸制圧だったのです

秀吉は平地の武将です
山地の武将のような専守防衛という発想は持ちません
完全制圧するまでは、戦いは続くと考えます
盗るか盗られるか、盗らなければ盗られる・・・のです

「完全制圧以外に戦いに終わりは無い」

・・・これが戦国武将の発想です

豊臣秀吉は、あくまで戦国武将の行動原理に忠実でした
秀吉が想定する戦場は、日本国内に限られなかったということです
彼には、地球的規模での発想と、優れた国際情勢分析がありました
だからこそ、明との戦いに、最強部隊を送り込んだのです
武将達も、秀吉の意向をよく理解し、積極的に協力したのでした