今年の正月の年始の時に
姪から、浜松で働いているという話を聞いて
父が始めた昔話を、ここに書き留めておきます

父が”横浜のおじさん”と呼ぶ、その人は
戦前、浜松にあった予備士官学校を主席で卒業したのでした

”恩賜の軍刀”で卒業したというのです

”恩賜の軍刀”というのは
天皇陛下から賜る軍刀という意味です
軍人の学校を主席で卒業すると、天皇陛下から軍刀をいただけたわけです
”恩賜の軍刀”とは”主席で卒業”という意味になるのです

なぜ、それを知ったかというと
なんと、当時は、そのことが新聞報道されたのだそうです

”横浜のおじさん”は父の叔父ではありません
父からみて祖父(私の曾祖父)秋本三之助には二人の弟がいました
群平と留吉です

群平は横浜に出て、商人として成功しました
群平には男女の子供がいて、男の子は三人いました
その内の三番目の男の子が秋本義雄です
この人が、ここで父が言う”横浜のおじさん”なのです

「”横浜のおじさん”は自動車を自分で運転して来た」

「オレを横に乗せで近所を走ってくれた」

群平に始まる横浜の秋本家は
戦前に自家用車を所有するほど裕福だったのです

我が家の近所のSさんは軍隊で秋本義雄の部下でした

「父親の実家の村の出身ということで、随分良くしてくれた」

と、Sさんは父に話したそうです

父に言わせると
秋本群平は、はじめSさんの家に百姓奉公に行ったのですが
そこでの労働が、あまりにきついため、横浜に出て商人になり、成功したのです
子孫の皮肉な巡り合わせというわけです

”恩賜の軍刀”と”自家用車”により
強烈な印象を父に残した”横浜のおじさん”秋本義雄は
北京で戦病死したということです