昨夜の夕食の時に、父が話した昔話を書きます

父は、昭和20年の3月に
5年制の旧制中学を4年で繰り上げ卒業しました

卒業式の後の「お別れの会」では
グラウンドを畑にして作ったサツマイモが2本
各自に配られただけでした
それを食べたのが「お別れの会」だったのです

終戦の年あり、食糧事情は、そこまで切迫していました
普段の弁当でも、白米を持ってくる子はほとんどいなくて
農家の子であり、白米の弁当を持っていった父は
級友達に隠れて弁当を食べたかったほどでした

卒業すると、すぐに
長津田にあった軍需工場に動員され
住み込みで、高射砲の砲弾を作ったそうです
各自の持ち場が決まっていて、一つの作業に集中すればよく
熟練工のいらない流れ作業で、砲弾が完成できたそうです

大学に入ってからは、厚木飛行場に動員されました
やはり、住み込みで働くのですが
食事は、竹を切っただけの器に
空襲で焼けた大豆が、わずかばかり入っているだけでした

日曜日に家に帰ると
父は、もう厚木飛行場には行きませんでした
学生であった父は、いつの間にか軍属の扱いになっており
父の行為は、一種の逃亡とみなされ、問題となりました
日大の先生の配慮で、父は大学内の農場の管理に回され
厚木飛行場には行かなくて良いことになりました