昭和22年4月
新憲法の下、最初の衆議院選挙で
片山内閣が成立しました

この時、初当選し、1年生議員となったのが田中角栄です
田中は民主党から立候補したため
片山内閣の連立与党議員となったわけです

このことは、その後の田中の政治人生に決定的な影響を与えました

片山内閣は、わずか10ヶ月足らずの短い期間に
戦後の日本人の国民生活に直結する法律を多数成立させました
その中に、公団公社の設立も含まれます

田中角栄は、後年、金権政治家として世間に知られます
しかし、田中角栄には、もう一つ別の顔があります
100本を超える議員立法を成立させた政治家でもあるのです

田中角栄は、彼の政治活動の前半では
多くの法律を作り、公団公社を作りました
片山哲の精神をどこまで理解していたかはともかく
田中角栄こそ、ある意味で、最も強力な
片山哲の政治手法の後継者でもあったのです

田中角栄は、片山内閣の「臨時石炭鉱業管理法」に反対票を投じ
同じ行動をとったグループとともに吉田自由党と合流
民主自由党となり、吉田茂の知遇を得ます

このことから、田中は吉田の子分となって出世したとし
田中を「吉田学校」の生徒とみなす見方もあります
しかし、冷静に見れば、田中角栄の政治手法は
「片山学校」から学び取ったものとしか言いようがありません