連休明けの仕事は
いろいろ予定も詰まってはいますが
私の脳みそはさらに詰まっていて
それを解きほぐし、悩みを解消することが、ひと仕事です
家族の悩みは、人を苦しめます
時には、自分のこと以上に、心を悩ませます
私の場合
不登校に陥った次男を思うと
どんな時も、心が晴れません
次男は、私以上に苦しんでいるのです
妻も、私以上に苦しんでいるはずです
そして、この問題に関しては、私自身の無力を痛感しています
イジメ問題の被害者になるということは
私の人生の想定外でした
私が子供達を学校にあげる時には
イジメ問題について
イジメは
してもいけない
されてもいけない
見て見ぬふりをしてもいけない
と、教えました
しかし
現実に我が子がイジメの被害を受けるとなると
それに対して、当人も親も、何もできないのです
学校にお願いしても
担任の教師が見て見ぬふりをし
学校の上層部に情報を上げなければ、何も無いことになってしまいます
学校の上層部が、これを知っても
具体的に加害者を強く罰しない限り
加害者は反省すること無くいイジメを継続します
イジメの本質は集団による仲間はずれですから
いったんイジメ構造ができあがると
被害者はクラスの中に居場所が無くなります
この状態を解消することは困難です・・・不可能かもしれません
つまり、クラス替えでもしないかぎり
被害者は学校に通えなくなるのです
本当は加害者を退学させるか、せめて停学させればいいのです
次男がイジメのターゲットになった切っ掛けは”濡れ衣事件”です
しかし、次男のクラスには、それ以前からイジメの構造がありました
何人かの犠牲者が出ており、退学者も出ています
いじめられた生徒が退学させられているのです
次男も同じ運命をたどる危険があるのです
次男は、いじめられている生徒をかばうことをしてきました
まさに、私の言いつけ通り
イジメを、見て見ぬふりはしなかったのです
その結果として、彼がいじめられることになったのです
”濡れ衣事件”はイジメの口実に過ぎませんでした
濡れ衣が晴れても、次男へのイジメは無くなりませんでした
いろいろ予定も詰まってはいますが
私の脳みそはさらに詰まっていて
それを解きほぐし、悩みを解消することが、ひと仕事です
家族の悩みは、人を苦しめます
時には、自分のこと以上に、心を悩ませます
私の場合
不登校に陥った次男を思うと
どんな時も、心が晴れません
次男は、私以上に苦しんでいるのです
妻も、私以上に苦しんでいるはずです
そして、この問題に関しては、私自身の無力を痛感しています
イジメ問題の被害者になるということは
私の人生の想定外でした
私が子供達を学校にあげる時には
イジメ問題について
イジメは
してもいけない
されてもいけない
見て見ぬふりをしてもいけない
と、教えました
しかし
現実に我が子がイジメの被害を受けるとなると
それに対して、当人も親も、何もできないのです
学校にお願いしても
担任の教師が見て見ぬふりをし
学校の上層部に情報を上げなければ、何も無いことになってしまいます
学校の上層部が、これを知っても
具体的に加害者を強く罰しない限り
加害者は反省すること無くいイジメを継続します
イジメの本質は集団による仲間はずれですから
いったんイジメ構造ができあがると
被害者はクラスの中に居場所が無くなります
この状態を解消することは困難です・・・不可能かもしれません
つまり、クラス替えでもしないかぎり
被害者は学校に通えなくなるのです
本当は加害者を退学させるか、せめて停学させればいいのです
次男がイジメのターゲットになった切っ掛けは”濡れ衣事件”です
しかし、次男のクラスには、それ以前からイジメの構造がありました
何人かの犠牲者が出ており、退学者も出ています
いじめられた生徒が退学させられているのです
次男も同じ運命をたどる危険があるのです
次男は、いじめられている生徒をかばうことをしてきました
まさに、私の言いつけ通り
イジメを、見て見ぬふりはしなかったのです
その結果として、彼がいじめられることになったのです
”濡れ衣事件”はイジメの口実に過ぎませんでした
濡れ衣が晴れても、次男へのイジメは無くなりませんでした