ふと、振り返れば
白髪交じりの中年男
それが、デパートやスーパーで
鏡やショーウインドーに写る自分の姿です
表情が乏しく
何を考えているのか分からない
楽しさや好奇心といったものが失われ
不満のような、戸惑いのような、態度と表情で
硬い顔つきのまま、人々の中を歩いて行く
それが、客観的に見た、自分の姿です
人生には無限の可能性があります
しかしそれは、あくまで”可能性”であって
何でもできるという意味ではありません
子供の頃、海を見れば
その向こうに、ハワイやアメリカ大陸があることを想像しました
今は、浜辺に行っても
足下の砂に足を取られないように、気を付けるだけです
岸壁に立っても
下に小魚が泳いでいるのを見たり
何か釣れるのかなと考えてみるくらいです
人生には無限の可能性があるといっても
歳を重ねるごとに
その可能性の見積もりが、だんだん小さくなってくるようです
人生経験が、現実の重みを知らせ
考えることが、良く言えば現実的になり
悪く言えば、夢が無くなってきているのです
夢を追うことと、現実を知ることの中に人生があります
私は今でもはっきり憶えています
青春の終わりは、一種の絶望だったと
現実を受け入れることは
夢見がちな日々に別れを告げることでした
それが自分にとって、はっきりと
青春の終わりであったと自覚しているのです
しかしそれは、あくまで青春の前期の終わりに過ぎませんでした
現実を受け入れると言っても
その”現実”を私は知りませんでした
実際の現実は、自分で経験してみて、はじめて知ることになるのです
そういう意味では、そこから”後期の青春”が始まりました
仕事についてはもちろん
恋もまた、後期の青春に学んだのかもしれません
子供の頃、自分の親を見れば
自分が生まれた時からずっと親なわけです
ところが、自分が親になってみれば
子供ができてから親になるわけで
子供の成長とともに、自分も親としての経験を積んで
いつの間にか、親らしくなっていくのです
未知な世界で試行錯誤すること自体、青春と呼んでいいでしょう
親になることも、すなわち”子育て”も、青春なのです
そう考えれば”老い”も”闘病”も青春なのかもしれません
未知との遭遇と戸惑いは、青春そのもです
誰でも、初めから老人だった人はいません
若いときのように体が動かなくなったということも”発見”なのです
それに合わせた生き方を考えることは、けっこう面白いことかもしれません
老いの変化を楽しむことができれば
青春のまっただ中にいる老人になれるかもしれません
あるいは”清秋”という言葉を創ってもいいかもしれませんが・・・
白髪交じりの中年男
それが、デパートやスーパーで
鏡やショーウインドーに写る自分の姿です
表情が乏しく
何を考えているのか分からない
楽しさや好奇心といったものが失われ
不満のような、戸惑いのような、態度と表情で
硬い顔つきのまま、人々の中を歩いて行く
それが、客観的に見た、自分の姿です
人生には無限の可能性があります
しかしそれは、あくまで”可能性”であって
何でもできるという意味ではありません
子供の頃、海を見れば
その向こうに、ハワイやアメリカ大陸があることを想像しました
今は、浜辺に行っても
足下の砂に足を取られないように、気を付けるだけです
岸壁に立っても
下に小魚が泳いでいるのを見たり
何か釣れるのかなと考えてみるくらいです
人生には無限の可能性があるといっても
歳を重ねるごとに
その可能性の見積もりが、だんだん小さくなってくるようです
人生経験が、現実の重みを知らせ
考えることが、良く言えば現実的になり
悪く言えば、夢が無くなってきているのです
夢を追うことと、現実を知ることの中に人生があります
私は今でもはっきり憶えています
青春の終わりは、一種の絶望だったと
現実を受け入れることは
夢見がちな日々に別れを告げることでした
それが自分にとって、はっきりと
青春の終わりであったと自覚しているのです
しかしそれは、あくまで青春の前期の終わりに過ぎませんでした
現実を受け入れると言っても
その”現実”を私は知りませんでした
実際の現実は、自分で経験してみて、はじめて知ることになるのです
そういう意味では、そこから”後期の青春”が始まりました
仕事についてはもちろん
恋もまた、後期の青春に学んだのかもしれません
子供の頃、自分の親を見れば
自分が生まれた時からずっと親なわけです
ところが、自分が親になってみれば
子供ができてから親になるわけで
子供の成長とともに、自分も親としての経験を積んで
いつの間にか、親らしくなっていくのです
未知な世界で試行錯誤すること自体、青春と呼んでいいでしょう
親になることも、すなわち”子育て”も、青春なのです
そう考えれば”老い”も”闘病”も青春なのかもしれません
未知との遭遇と戸惑いは、青春そのもです
誰でも、初めから老人だった人はいません
若いときのように体が動かなくなったということも”発見”なのです
それに合わせた生き方を考えることは、けっこう面白いことかもしれません
老いの変化を楽しむことができれば
青春のまっただ中にいる老人になれるかもしれません
あるいは”清秋”という言葉を創ってもいいかもしれませんが・・・