毎年のことですが
お盆には、二人の姉が家にやってきます
父を交えて、私や妻や子供たちと
お互いの近況報告などをして、歓談の時を過ごします

時の流れは、静かに、確実に、すべてを変え
姉達は孫を持つ世代となり
もはや、現役としての現実認識からは遠のいているかのごとくです

それでも、子供の結婚話などが、強い現実的テーマではあります
とは言え、いまどきの親が子供の結婚に積極的に口を出すわけでもなく
ただ、現実の推移を受け入れるだけのようです

時は過ぎて行きます
子供たちの前で、私の若い頃の話をされても
私としては、なんとも答えようもなく
記憶に無いこともあり
過去というものの意味を考えさせられてしまいます

自分の記憶から消えた過去というものは
何かのきっかけで、誰かが話したとしても
そのことが事実かどうかを検証しようもなく
また、わざわざ検証するほどのことでもなく
偶然話題になることさえ無ければ
永遠に、人類の記憶から消えてしまうものです

人の日常の多くは、そのような出来事でできています
忘れられ、何の記録も残さない現実、それが人間の生活のほとんどであり
死んでしまえば
日々、人々の記憶から、その人のことが失われていくのでしょう
それが、人間がこの世に存在することの実体です

わびしい気もしますし、さっぱりするような気もします
でも、愛する人の記憶だけは、なかなか消えないものです
人が互いに愛し合うことの意味を、改めてかみ締めます