コルビュジエの絵画や彫刻を観ると
私は、少し、困ってしまいます
それらの作品から受ける印象は、彼の建築から受けるインパクトに遠く及ばないからです
彼の絵画や彫刻には、それなりの独自性や面白さがあります
しかしながら、レジェやピカソの作品と較べると
表現の力強さや印象の強さという点で見劣りがします
画風にモダンアートとしての共通点があるだけに
作品それ自体の力の弱さが、はっきりしてしまいます
これは、一慨に才能の問題とは言えないでしょう
創作に向かう姿勢の問題のような気がします
つまり、コルビュジエは、やはり建築家だったのです
コルビュジエにとっては、絵画も彫刻も建築の一部だったのです
それ自体が単独で存在する芸術ではなく
建築物の一部として、装飾として、空間を彩るものとしての、絵画であり彫刻であったのです
画家が魂を込めて、見る者へ訴えかける何ものかとしての絵画
後期印象派以降、もっとも重視された近代絵画の在り方
そのことへの理解が、コルビュジエには足りないように、私には思えるのです
絵画は、もともと、壁に掛ける飾りものでした
その絵画が、人間の根源的な苦悩や歓喜、希望や問いを表現する手段となりうること
その可能性を切り拓いたことが、近代絵画の最大の功績でした
近代絵画の多様な表現方法もまた、そのための手段として開発されてきました
表現様式の開発それ自体が目的ではなかったのです
ところが、やがて、自由な表現方法の開発それ自体によって、芸術家達が評価されるようになります
人々は、モダンアートが近代建築に似合うということを、発見しました
近代建築は、それに相応しい絵画や彫刻を求めるようになったのです
多くの前衛芸術家達が、苦闘の末に開発したモダンアートの手法は
商業美術へと、大きく流れを変えていきました
その流れの中に、意外にも
コルビュジエの考えた総合芸術としての、絵画や彫刻の位置付けがありました
近代建築の美にふさわしい、絵画であり、彫刻ということです
コルビュジエは、建築家としては、主導者でした
しかし、絵画や緒国では、追随者であったのです
その表現に独自性は認められても、主導者の持つ力強さは認められないのです
私は、少し、困ってしまいます
それらの作品から受ける印象は、彼の建築から受けるインパクトに遠く及ばないからです
彼の絵画や彫刻には、それなりの独自性や面白さがあります
しかしながら、レジェやピカソの作品と較べると
表現の力強さや印象の強さという点で見劣りがします
画風にモダンアートとしての共通点があるだけに
作品それ自体の力の弱さが、はっきりしてしまいます
これは、一慨に才能の問題とは言えないでしょう
創作に向かう姿勢の問題のような気がします
つまり、コルビュジエは、やはり建築家だったのです
コルビュジエにとっては、絵画も彫刻も建築の一部だったのです
それ自体が単独で存在する芸術ではなく
建築物の一部として、装飾として、空間を彩るものとしての、絵画であり彫刻であったのです
画家が魂を込めて、見る者へ訴えかける何ものかとしての絵画
後期印象派以降、もっとも重視された近代絵画の在り方
そのことへの理解が、コルビュジエには足りないように、私には思えるのです
絵画は、もともと、壁に掛ける飾りものでした
その絵画が、人間の根源的な苦悩や歓喜、希望や問いを表現する手段となりうること
その可能性を切り拓いたことが、近代絵画の最大の功績でした
近代絵画の多様な表現方法もまた、そのための手段として開発されてきました
表現様式の開発それ自体が目的ではなかったのです
ところが、やがて、自由な表現方法の開発それ自体によって、芸術家達が評価されるようになります
人々は、モダンアートが近代建築に似合うということを、発見しました
近代建築は、それに相応しい絵画や彫刻を求めるようになったのです
多くの前衛芸術家達が、苦闘の末に開発したモダンアートの手法は
商業美術へと、大きく流れを変えていきました
その流れの中に、意外にも
コルビュジエの考えた総合芸術としての、絵画や彫刻の位置付けがありました
近代建築の美にふさわしい、絵画であり、彫刻ということです
コルビュジエは、建築家としては、主導者でした
しかし、絵画や緒国では、追随者であったのです
その表現に独自性は認められても、主導者の持つ力強さは認められないのです