昨日は上野まで、円空仏を観に行きました

円空の本物を見るのは初めてです

実物を見て
円空仏は仏像であり神像であって
芸術作品ではないということが分りました

円空仏は、前面から観ることしか想定されていません
後ろは平らで、字が書いてあったりするだけです
お堂や祠に安置し、人々が拝観することを前提に作られているのです

写真で見ていただけでは、このことに、まったく気付きませんでした
なんといっても、あの立体感です・・・
実際の円空仏はレリーフのような作りなのです

ただし、前面から見る限り
どの角度から見ても、強烈な立体感があります

円空は得度した僧侶であり、仏師ではありません
まして職業的な彫刻家ではありません
円空の表現は、あくまで信仰の形なのです・・・芸術表現ではありません

円空は森羅万象の中に、神を、仏を、見たのでしょう
そして、木の中にも当然存在する神、仏の姿を
その姿が現れた時点で、鑿を止め、仏像としたのです
もともと木の中にいた仏様が姿を現した時点で、人為的な行為を止めたのです

木像は人々の祈りの対象であり、鑑賞の対象ではありません
彫刻としての完成度は問題となりません
神様や仏様を、後ろに回って見る必要は無いのです
仏性が生じた時点で、仏像は完成するのです

木目もひび割れも節目も鑿の跡も
森羅万象に神が宿り、仏が宿る以上、無駄なものは一つも無く
あえて消し去る必要は無いのです

強い表現は信仰の強さそのものです

しかしながら
その特異な表現が何によるものかは”謎”です
円空が北海道に渡ったことなどは、謎を解く鍵の一つかもしれません